「・・・っ・・・」
いつ何時、誰が来るとも知れないクローバーの塔の給湯室でじりじり与えられる刺激に必死に声を堪えた。
「それ、辛くないか?」と、誰のせいだと思っているのか白々しく尋ねる目の前の男を顔を顰め睨みつけた。
が、迫力が無いのは与えられた熱によって顔が紅潮して目が潤んでいるせい。エースは小さく喉で笑った。
その日は不運にもいつも着ている会合服とは違うワンピースだった。それが事の発端だったとも言える。
詰まる話、エースにとってヤり易い服装だったことは否定しない。何が気に食わなかったのか分からない。
休憩時間に飲み物を淹れていたに突然近付いたかと思いきや「こないだのご褒美がまだだよな」、と。
そもそも期待なんてして無かったが案の定。場所を弁えることも無く「くれないか」と、強引に強請り始めた。
最初は当然ながら抵抗はしたがそれで引き下がるほど駄犬というだけあって賢くない。抗い切れなかった。
しかも何の嫌がらせなのか執拗に声を出させようとする始末だ。今はまだ会合中で誰が来るとも知れない。
少なくとも夢魔にはバレている。それを分かっててまるで見せつける様に行為に及ぶ辺り、救いようがない。
「その紅茶もう渋くなっちゃったんじゃないか?」
あーあ、と、淹れ掛けの紅茶に目を向けてエースが呟く。誰のせいだと言いたくなった。まるで我関せずだ。
余裕に満ちたその声調が癪に障るがはそれどころではない。疼く熱をどうにか解放したくて堪らない。
「っ・・・の・・・ばか・・・」
最悪だ。折角、グレイの許可を得て良い茶葉を使わせて貰っているのにあれではもう飲めたものではない。
楽しみにしていた分落胆も大きい。それに焦らされ続けてそろそろ辛い。縋り付く様に掴む腕に力が篭る。
無言の催促。いくら解放を願えどもそれなりに自尊心はある。言葉にして強請るなんで出来るものか。
というか、して堪るか。
声を殺す代わりに腕を掴む力に手が篭る。否、そうしなければ脱力して立っていられなくなってしまうから。
今立っていられるのは追い詰められて背後に迫る壁と目の前のエースの腕を掴んでいるからに違いない。
理性は場所を弁えろと忠告する。だが本能が与え続けられた刺激によってそれ以上を求めようとしている。
欲望に負けそうになった。が、不意に別の気配を感じてエースの手が止まる。は一瞬、呼吸を忘れた。
(気付かれて・・・ない、よな?)
心臓が大きく鼓動を打つ
まだ少し距離はある。反射的にエースの腕を押して距離を取って身形を整える。身体の奥が少し疼いた。
それに対してエースも抵抗はせず溜息を漏らして距離を置いた。離れていく手に少しだけ寂しさが募った。
近付いて来る相手を迎える為に平静を装いつつ先程まで行っていた飲み物を淹れる準備を着々と進める。
「ねえ、・・・あら、エースも一緒だったの?」
と、顔を覗かせたのはアリスだ。「飲み物は出来た?」と、を見た後その近くに居たエースを一瞥する。
一瞬ぎくりとしたが、アリスだったことに安堵する。焦ったのは先程、近付いて来る気配が足を止めたから。
バレたかと勘繰ったが相手がアリスならそれは杞憂だ。「ごめん。失敗しちゃったんよ」と、肩を竦めて笑う。
「へえー珍しいね、が失敗するなんて」
不意に第三者の声。が顔を上げるとアリスの後ろにピンクの猫もといチェシャ猫・ボリスの姿を捉えた。
何となく口にしたのだろうボリスの言葉に後ろめたさのせいで内心恐々とした。猫は気配に聡い生き物だ。
「あ〜・・・うん。ちょっと、ぼけーっとしてたからさ」
と、苦笑交じりに言い訳。呆けていたどころか「完全に紅茶の存在を忘れてました」だなんて言える筈ない。
今も気を紛らしてはいるが、散々弄り倒されて過敏になった身体が意識を散漫させる。思わず目が泳いだ。
それでもあくまで平静を装い二人と向き合う。それを見ていたエースが不意に笑う。「駄目じゃないか」、と。
「ちゃんと集中しないと」
どの口がほざくか。どういう意図でそれを口にしたのか知らないがはは目を細めエースを一瞥する。
が、それも瞬く間のことですぐにへらりとした顔を見せて「ごめんごめん」と、エースを真似てあははと笑う。
我ながら驚くほど白々しい笑い方。それを眺めていたボリスが「また後で取りに来るよ」と、不意に口を開く。
「ね?アリス」と、アリスに話を振る。目を丸くしたが有無を言わせないボリスの物言いにアリスも小さく頷く。
確かに失敗してしまった以上、淹れ直しにはまた時間が掛かるだろう。出直す方が賢明だとは思うけれど。
「エースは戻らないの?」と、不意に話を振った。そもそもどうして此処にエースが居るのか不自然だった。
が、彼はにこりと笑って頷くと「を手伝うよ」と、答えた。気の所為だろうか空気が一瞬凍った気がする。
ボリスに腰を抱かれながらアリスは給湯室を出た。どこか急くようなボリスの動きに少しだけ疑念が湧いた。
それにどこかピリピリしている。というか、気を張ってる風に思えた。「・・・まさかあの二人がね」と、呟く声。
僅かに聞こえた言葉にアリスは小首を傾げる。「どうしたの?ボリス」と、さり気無く腕を解きながら尋ねた。
アリスの質問に「ん。何でもない」と、笑顔で誤魔化した。
とてもじゃないがアリスに真実は話せない。否、ボリスとて全ては知り得ないし、憶測の部分もかなりある。
だが可能性としては高い。というよりも、認めたくはないが猫の直感がおそらくそれが真実なのだと告げる。
確かにも年頃の娘でエースも健全なる男だ。男女が揃えばそういう関係に至っても不思議ではない。
何となく嫌な予感がした。猫の優れた聴覚が僅かな音を拾った。押さえても分かる特有の女の鳴いた声。
気の所為だと思った。否、そう思いたかった。一瞬、そこに行くのを躊躇ったがアリスは何も気付いてない。
流石にアリスを一人で行かせるわけにいかずボリスも同行した。給湯室に着くと中にはとエースの姿。
普通に飲み物を用意していた。が、空気が僅かに澱んで異質だった。確信したのはの顔を見た時だ。
そういうことか――と。
事後か最中だったのかは無粋極まりないから言及しない。だが僅かに泳いだ視線もその潤んだ目も証拠。
艶めいた色を帯びた漆黒の双眸。普段はそれを感じさせないから初めてはっきりと『女』を感じさせた。
そしてそうに至るまで彼女を染め上げたのが傍らに居た騎士なのだ、と。エースは笑顔で二人を出迎えた。
が、
其の実、まったく歓迎してなかった。目は一切笑って無かったしボリスに終始向けられていたのは殺気だ。
性質が悪いのはそれを周囲に悟らせないところ。ボリスだけに知らしめる様に向けられていた明確な警告。
それから逃れようとボリスは退散を選んだ。厄介事に巻き込まれるのは本望で無い。勿論アリスも連れて。
ちらりとアリスに目を向けた。性格の割に初心な一面を持つアリスはおそらく二人の関係のことを知らない。
否、二人が良い雰囲気なのは知っているかも知れないがそういう関係に至っているとは思ってないだろう。
(それにしても・・・)
溜息
ボリスにとって想定外だったのはエースの強過ぎる独占欲について。しかもそれを微塵も隠そうとしない。
のあの顔を他の誰かに見せることを望まない。だからその場に遭遇してしまったボリスに対する牽制。
否、牽制というには行き過ぎた殺気だ。触らぬ神に祟りなし。それにボリスにとって関係のないことだった。
は友人だ。もちろん彼女の本質が脆いことは知っている。守ってやらねばならない存在だということも。
否、守ってあげたいとは思う。が、隣を歩く少女に抱くそれとまた異なる。どちらも大切で失くしたくはない。
想うことは否定しないが、あくまでそれは友人として。だからボリスにとって女であるは関係無かった。
「・・・・・」
二人が去って再び二人きりになってしまった。小さく溜息を漏らすと同時に紛らわしてた感覚が一気に集う。
こんな状態で作業なんて出来る筈も無い。完全に手が止まってしまい疼く熱をやり過ごす方法を模索する。
だが見つかる筈も無い。疼きを誤魔化す様に僅かに身を捩って深呼吸に努めるがそれで納まる事はない。
は困惑を隠せないままちらりとエースを見た。にこにこと笑うだけで向こうから動く様子は見られない。
試されているのだと嫌でも気付く。触れて欲しいと思ったことは否定しない。そう思った瞬間、疼いたのも。
窺うように殆ど意味を成さないさり気無さでもってエースを見遣ったがあくまで彼は知らぬ存ぜぬを貫いた。
どうやらこちらが求めるまで動く気はないという意思表示らしい。見えないようには僅かに唇を噛んだ。
(・・・ずるい)
そう思った
触れて欲しいのに触れてくれない。エースだって言葉にするのが苦手なの性分は理解している筈だ。
言葉にできたらそもそも苦労しない。全てにおいてもっと上手な関係を構築できた。知っていた事だろうに。
なのに言葉にしろと強要するなんてずるいとしか言い様が無い。対する自分は何も示そうとはしない癖に。
が、それでも身体は素直なもの。その疼きを誤魔化すのも限界だった。小さく息を吐いて仕方なく腹を括る。
ゆっくりと振り返り距離を縮める。高身長のエースに手を伸ばしたって届く筈がない。漆黒の双眸を向けた。
そして顎で屈めとばかりに合図すればエースは不満も漏らさずそれに応えた。その首にゆっくり腕を回す。
目と鼻の先には端正なエースの顔が映し出される。が、目を閉じそれを視界から消す。そっと唇を重ねた。
――所詮は気の迷いだ。
言葉になんてしない。それは自分ではないし言の葉にして伝える意味もない。無意味なことなんてしない。
触れるだけのを幾度も交わした。が、次第に物足りなくなったのはの方だ。遠慮がちに舌先で触れた。
それに応えるように少し開いたその口内にそっと舌を差し入れる。初めてではないが自分からは初めてだ。
拒否はされなかった。だが少しだけおっかなびっくりになったのは不慣れだから。たどたどしく舌を絡める。
これが他の誰かなら不快にしか感じず決して許しはしない行為を、何故か不思議と嫌だとは感じなかった。
いつの間にか添えられていた手がくしゃりと髪を撫でた。優しい手付きに心地良さを覚えて吐息が漏れる。
ここまでが限界だと察したのかエースが小さく笑う気配。今度はエースから唇を重ねて来て少し安堵する。
同時に冷めかけた熱が再び灯った。身体の奥がしくしくと疼いて目の前の男を求める。掴む手が強まった。
「・・・ずるいぜ。君は」
馬鹿のように激しいキスを重ねていたが不意に壁に押し付けられる。少しだけ離れてエースがそう呟いた。
(・・・ずるいのはどっち?)と、聞きたいのを堪えて真っ直ぐエースを見つめた。少しだけ困ったような笑顔。
そんな顔を見せるエースの方がよっぽどずるい。それ以上は見たくなくてネクタイを引き寄せて唇を重ねた。
するりと身体のラインをなぞるその手を甘受する。に触れるその手はいつだって怖くなるほどに優しい。
その優しさがむず痒くて同時に切なくなる。否、怖い。いつかその手から逃げられなくなる日が訪れそうで。
考えると怖くて堪らない。ここはひと時の場所。自分もエースも同じ場所には留まらない。いつかは離れる。
思考に蓋をする様には与えられる快楽に身を委ねる。『今』から逃げる術はそれしか浮かばないから。