「いってきます」と「いってらっしゃい」
[2013年8月3日 脱稿]
「グレイ・・・の探し物ですか?」
「これ」と、顎でついっとナイトメアを指し尋ねた。「わ、私は偉いんだぞ!」と、のたまう。偉いなら仕事しろ。
居候先の主に対する態度とはとても思えないぞんざいな扱いだが、先程の事を考えると自業自得だろう。
の背後に隠れたまま一向に出て来ようとしない上司を見てグレイは思わず溜息を漏らした。情けない。
「ええそうですね、貴方は偉いんです。ですから、仕事をしてください」
とは言え、本音を言うわけにもいかずなるべく下手に言葉を紡ぐ。仕事をしてくれるならこの際どうでもいい。
「やってるじゃないか!あれだけやっても終わらない方が異常なんだ!!」と、うんざり顔で嘆くナイトメア。
「大体、あまり根を詰め過ぎたら身体に悪いだろう」
「休憩も必要だ」と主張するが、グレイに言わせれば、もともと病弱なのだからあまり大差ないだろうと思う。
が、流石にそれを口にすればナイトメアが機嫌を損ねる上に実際に崩されると弊害をモロに食らってしまう。
仕事が終わらないのは溜め込んだことが原因だ。「・・・溜め込んだのはナイトメア様ですよ」と、再び溜息。
「が暇していたから相手をしていたんだ!客人をもてなすのも領主の務めだろう!!」
さりげなくをダシに使ってふんぞり帰って反論するナイトメアに、グレイだけでなくも溜息を漏らす。
ナイトメアは年上だが年下に見えてしまう時があるから困る。それに客人という言葉がどこか釈然としない。
「いや、もう充分やし仕事戻ったら?」と、告げて後ろに回り込んでナイトメアの背中を軽く前に押し出した。
「なっ!?」と、焦り顔を見せたナイトメアだったが、正面に待ちかまえていたグレイにあっさり捕獲される。
恨みがましい目を向けられたが、は知らん顔で口笛を鳴らしながらさっと視線を逸らした。ざまあみろ。
別にさっきの仕返しなわけじゃない。潔癖と言われたことも恋愛初心者と言われたのも別に怒っていない。
「あんまりグレイに迷惑かけんときよー?一応、領主様なんやったらなおさら」
と、まるで子を宥める母親のような口調でが言う。構って貰えて嬉しかったことは決して否定はしない。
だがそれはナイトメアも暇を持て余しているのが前提だ。サボって余所者と話し込んでるなんて以ての外。
あまつさえそれがグレイにバレたとあらばも「もうちょっとゆっくりしていいよ」とは言える筈もなかった。
「き・・・きみってやつは!さっきまで見逃してくれていたじゃないか!!」
いきなり裏切るなんて酷い、というのがナイトメアの言い分らしい。しかし女心は秋の空という格言もある。
「女心は移ろい易いんですよー」と、からかい半分に返す。こんな軽口を叩けるくらいに距離は近い・・・筈。
・・・・・え、近いよね?むしろ心の声を読まれちゃってるのだから近くて当たり前だと思う。うん、きっと近い!
実は違いましたよー!とか――ありえそうだな。おお、怖い。
「期近だけパッと片付けて来たら?んで、またサボったらええやん」
ナイトメアが溜め込んでいる書類の量などは知る由もないが、取り敢えず近いものだけは片すべきだ。
「・・・サボる事を勧めないでくれないか」と、グレイが困惑顔で言う。しかしそれが一番効果的な言葉だろう。
確かに期限ギリギリに書類を仕上げるのは良いと言えないが、おそらくナイトメアのサボりは止められない。
だとすれば、ギリギリだろうと何だろうと期近の書類を片付けさせてサボらせた方が仕事の能率も上がる。
確かにグレイの心労はとんでもないことになりそうだが。少なくとも自主的に戻る様になればマシだろうに。
「・・・きみは私を一体何だと思ってるんだ」「サボリ覗き夢魔」「おいっ!!」。物言いたげなナイトメア。
「私はこのクローバーの国の主要な領主で偉いんだぞ」 「なら仕事くらい楽勝よね?」
コホン、と咳払い一つ。仕切り直すようにナイトメアがそう言葉にする。その隣でにこりと笑って口を挟んだ。
「ああもちろん!」と、売り言葉に買い言葉。否、むしろこの場合は条件反射というべきか。とてもいい返事。
グレイと目が合った。互いにフッと浮かべた笑みは決して良いものではない。「ええ、貴方は偉いんです」。
「さっそく、書類を片付けていただきましょうか」
と、逃がさない様にしっかりナイトメアの肩を掴みグレイが言った。相変わらず貼り付けた笑みは消えない。
「頑張ってねー!領・主・さ・まv」と、からかうように猫撫で声で応援する。ひらひら手を振って見送る。
引き摺られながら執務室に向かおうとしていたナイトメアが不意に振り返り「」と呼んだ。首を傾げる。
「私も仕事するんだ!きみだけ遊んでいるというのは不平等じゃないか!」
そしてピシッとこちらを指差し高らかに言った。「客人に仕事させんのかよ」と、先程の言葉を思い出し呟く。
を客人だと定義付けたのはそもそもナイトメアの方だ。ぐっと言葉に詰まるナイトメア。押しに弱いな。
が、しかし「働かざるもの食うべからず!きみも働くんだ!!」と、半ば自棄気味に言い放った。威厳ゼロ。
「そりゃ・・・まあ、仕事が貰えるなら嬉しいけど」
暇を持て余さずに済む、というのもあったが、自分の役割を与えられることを不満に思う者は少ないだろう。
ナイトメアの言葉に一瞬、呆気に取られるがはそう呟いて頬を掻いた。ただ、自分に何が出来るのか。
クローバーの塔の事務は義務教育の身には難しい。かといって、他に出来る事と言えばかなり限られる。
(・・・清掃のおばちゃん?)
ふと浮かんだ
脳裏を掠めたのは白い割烹着と三角布を被った自身の姿。その手にはハタキ。塔内全部だと迷いそうだ。
「だからどうして迷うことが前提なんだ」と、ナイトメアが呟く。「それにおばちゃんじゃないだろう」とツッコミ。
関西人的にはちょっとツッコミが甘い気もするが此処にはそういった文化はないみたいだから我慢しよう。
「だって・・・他に出来そうなことって浮かばへんにゃもん」
「できても、せいぜい掃除くらいちゃう?」と、開き直ったようにが言えば、ナイトメアが溜息を漏らした。
彼女はどうにも自分を小さく見積もり過ぎな気がする。というか、それ以前にクローバーの塔内は広大だ。
「・・・きみ一人の手には負えんだろう、此処の掃除は」と、告げる。珍しいことにキリキリ頭が痛む気がした。
「そうじゃなくてだな・・・もっと他に大事なことがあるだろう」
それを堪えてナイトメアが言葉を紡ぐとは「あぁ・・・ナイトメアの監視?」と、言葉にした。そうじゃない。
「確かに・・・ナイトメア様の監視は必要だな」と、同意する声。「さりげなく同意するなグレイ」と、疲れた声。
が、次の瞬間流れ込んで来た「「仕事しない方が悪い」」という言葉にナイトメアは少しだけ泣きたくなった。
「どうしてそこでハモるんだ!!」と、ナイトメアが喚く。それを見て、とグレイは同時に溜息を漏らした。
どうしてかと理由を問われたら「胸に手を当てて考えてみろ」と、しか言えない。大元の原因はナイトメアだ。
「・・・実はさっきの事をかなり根に持っているだろう」と、言われる。否定もしないが、そういうわけでもない。
「で。結局もっと大事なことって何?」
ナイトメアの恨みがましい目をさらりと無視しては尋ねた。さっきから彼は何を言わんとしているのか。
要するに言いたい事ははっきり言えとばかりに視線を向ける。ナイトメアが一瞬、バツの悪そうな顔をする。
視線が右往左往と泳いだ後、諦めた様に「・・・きみの手料理が食べたい」と、呟く。はきょとんとした。
「え、俺のですか?」
何故かの傍に居たグレイが答えた。「違うわ!」と、ナイトメアが全力で否定する。そこまで嫌なのか。
「おまえのアレは料理とは言わない!テロだ!!」と、かなり酷い言われようだ。そんなに酷いのかと一瞥。
「滋養健康に良い食材ばかりですので、身体が吃驚することもあるかと」と、真面目な顔でグレイが答える。
(・・・あ、このひと天然だ)
思った
身体が吃驚するってアレか好転反応か。グレイの言葉には内心思った。ら、ナイトメアが噴き出した。
「どちらかいうと副作用だ」。そして肩を竦め呟く。副作用って。副作用の出る料理なんて聞いた事が無い。
そんな食物を産み出すグレイには思わず信じられない目を向けた。料理音痴という表現では生温い。
「・・・別にいいけど、味の保証はせぇへんで?」と、溜息混じりに答えた。料理が得意というわけではない。
だが劇物を作り出すほど音痴では無い筈だ。どうやら先程のナイトメアの発言はに宛てたものらしい。
塔の食堂の料理の方が断然美味しいだろうにどうして自分なんかに作れと頼むのか理解に苦しむけれど。
「てか、私が作るより塔の料理の方が美味しいやん」
何が不服なのか分からない。そう言うとナイトメアは「否定しないがきみの料理が食べたいんだ」と、言う。
「いや、そこは否定しろよ!」と、思わず突っ込む。本当にこの男は失礼だと思う。確かに事実だけれども。
先程と違ってさらりと言われた言葉にはやれやれと息を吐いた。蛇足の失礼な発言は気に食わない。
が、
お願いされるとどうも弱い。塔の料理に勝るような大層なものは作れない。が、自分に出来る範囲で、なら。
その旨を伝えるとナイトメアがまるで子供のように目を輝かせて喜ぶものだからは思わず後ずさった。
いい歳した成人男性のキラキラとした目は正直引く。幾らナイトメアが子供っぽいとはいえ、やはり引いた。
「・・・そんなドン引きしたような生温い目を向けないでくれないか」
もはや心の声さえ聞こえてこない。まるで衝撃を受ける前の水面のように穏やか且つ静寂に包まれている。
だがの抱く感想はすべてその視線に濃縮されている。目に見えて分かるだけにきついものがあった。
「あ、自覚あったんや?」と、からかう様ににんまりとが笑う。時折、ほんの少しだけ垣間見せる素顔。
まだ完全に打ち解けたわけではない。壁があることは重々承知だ。しかし、じょじょに気を許し始めている。
まるで警戒心の強い猫だったが無意識にそれを見せる様になった辺り警戒は確実に薄れてきている。
立ち入り過ぎでまた警戒されるかと危惧したが、どうやら今回は彼女の中の地雷に成り得なかったようだ。
それを喜ぶべきか否か、ナイトメアは答えに悩んだ。が、一つだけ言える事があった。変わらない子だ、と。
たとえどれだけの時が流れたとしても――あの子は変わらない。
「いってきます」と「いってらっしゃい」
[2013年8月3日 脱稿]