かくして望んだわけでないが、クローバーの国での生活が幕を開けた。特に変わった生活ではないけれど。
日の殆んどを塔の中で過ごした賜物か、おかげさまで最初は迷っていた塔内も今ではそれなりに慣れた。
まあ油断するとうっかり迷うけれど。することが無いというのは暇だ。最初は探索に勤しんでいたけれども。

――今となってはすっかり暇人状態であった。


とある昼下がり


「・・・・・またサボってんの?」

と、偶然、談話室で見かけたナイトメアに呆れた視線を向け言った。「身体に悪いで。病弱の癖に」と、続く。
咥えようとしていた煙草を取り上げる。恨みがましい目を向けられたが知らぬ顔でナイトメアの隣に座った。
煙草嫌いなにしたら阻むのは当然。しかもナイトメアは病弱だというのに喫煙するなんて言語道断だ。

「サボっていたわけじゃないさ、休憩も必要だ」

と、諦めた様に息を吐いたナイトメアが悪びれもなく言った。取り上げられた煙草はどうやら戻ってこない。
「ものは言い様やんな」と、容赦ない言葉に苦笑が浮かぶ。とは言え、グレイを呼ばれないだけマシだろう。
それどころか隣に座ったところ見るとどうやら話し込むつもりらしい。流れ込んできた声に小さく喉で笑った。

「ヒマなんよねぇ・・・」

ぽつり呟く。どうやら話し相手が欲しかったらしい。確かに塔の者は皆、業務に追われ多忙を極めている。
余所者のが暇を持て余すのは当然のこと。かと言って、多忙を前に構ってとも言い辛かったのだろう。
グレイから逃げてさぼっていたナイトメアの存在はにとってまさにカモがネギを背負ってきた様なもの。

「探索はもう終わったのか?」 「9時間帯くらい前にねー」

思い出したように尋ねれば、小さく頷きはそう答えた。からかい混じりに「もう迷わない?」と、尋ねる。
が、返事は無い。否、視線がゆらゆらと彷徨ったところを見ると、絶対の保証はないということなのだろう。

「外に出てみたらいいじゃないか」 「だって、迷ったら戻れへんやんか」

塔内でやることが無くても外なら楽しめるものもそれなりにあるだろう。提案したら真っ当な答えが返った。
つまり迷子になる可能性を踏まえて外出を控えているらしい。確かに賢明な判断だとは思うが詰まらない。
エースは見習うべきだが、はもう少し外に出るべきだ。その本質を考えると大人しいのは似合わない。

要するに迷惑を掛けたくないのだろう。は自分達に対して不必要なまでに遠慮している部分があった。
もっと自由に好き勝手に動き回れば良いのに。居候という立場が彼女をそうさせているのかも知れないが。
外出しないのも結局そういうこと。迷子になって塔の者に迷惑を掛けたくない。・・・迷うことが前提なのか。
だから最初に塔で迷わない様に道を覚えようとした。そして覚えた後は暇潰しが浮かばず持て余している。


「さすがに野宿とかはなぁ・・・うん、ちょっとイヤかも」

それはそうだ。というか、どうして少しの散歩が遭難を前提に進んでいるのか。どれだけ迷子属性なんだ。
「そうなる前にグレイにでも探しに行かせるよ」と、苦笑交じりにナイトメアが言う。ちらりとこちらを一瞥した。
物言いたげな視線の言わんとすることはグレイの仕事を増やすなと言ったところだろう。遠慮がちな子だ。

「謙虚は美徳だが・・・、もう少し自由に生活をしてもいいんだぞ?」

「我慢はよくないよ」と、からかうようにナイトメアが言う。流石は夢魔。看破されたことに肩が小さく揺れる。
暫しの沈黙の後、は小さく溜息を漏らして「・・・別に、してへんよ」と、答えた。これは間違いなく嘘だ。
その反応を見ていれば図星だったのは言うまでもない。横目で眺めながらナイトメアは「そうか」と、返す。

「それにどっちかいうと、私、わがままやで?」

今も昔も、そうだと自覚している。成長に伴い放題というわけでにはいかないが、少なくとも謙虚ではない。
すると「そうだな」と、ナイトメアはすんなり肯定する。もう少しそんな事無い的な回答があっても良いのに。
否定できないのは事実だから。だとして、それを他人に言われると何だか癪なのはどうしてなのだろうか。

「だが、今はその我儘を控えているだろう?私達に遠慮することはない」

それはつまりありのままで居ろ、と?その言葉には探る様にナイトメアに目を向けた。冗談じゃない。
遠慮はしてない。居候とい立場だけで十分だ。それ以上もそれ以下も、厄介な立ち位置にはなりたくない。

「だから、別に遠慮なんてしてへんって」

これだけ気安く話しておいて今更だ。それに我慢は健康を損なう恐れがある。そこまでして我慢はしない。
「・・・だと良いけどね」と、まるでそれが違うとばかりにナイトメアが言った。堪らずにナイトメアを見遣った。
何なんだ。この人は一体、何がしたいんだ。いつも優しい言葉を与える。だからこそは彼が怖かった。

どうして――、 こんなにもナイトメアは優しいのだろう。

現実世界でいうところの一週間。このクローバーの国で生活しているが、ナイトメアという人が分からない。
否、彼だけに限らず保護者のエースだって。なんであんなにもへらへらと笑っていられるのかさっぱりだ。
ユリウスは仕事熱心。殆どを部屋に引き籠って仕事してる辺り一種の病気だ。そのうち絶対倒れると思う。
グレイもどちらかいうと仕事熱心で真面目。上司の弊害をモロに受けてるから仕方ないかも知れないけど。

なんというか――


(・・・ものすごい極端なんよね)

苦笑

何事もバランスというものがある。が、はたしてこの世界にそういった概念があるのか甚だ疑問でならない。
生真面目と不真面目。極端過ぎるだろう。あくまでクローバーの塔を訪れる役持ちを主にした基準だけど。
とはいえ、知ってるのは4人だけだし他はもっと違うかも知れない。それを確認しようとは別に思わないが。
役無しと呼ばれる塔の職員さんは皆親切だ。顔がぼんやりとしてはっきり分からないのが偶にキズだけど。

正直、最初の頃は見分けられなかった。が、個の雰囲気の差に気付いてから何となく分かるようになった。
彼らは仕事の合間に塔内をうろつくを見かけては気さくに話しかけてくれたりお菓子をくれたりもした。
好意的な態度の相手に対して、わざわざ蔑ろな態度を取る理由は無い。人受けする態度でそれに応えた。


「クローバーの塔の役無し達とは仲良くやっているみたいだな」

また突拍子もないことを言う。呆れた視線をナイトメアに向けて「勝手に覗くな。覗き夢魔」と、吐き捨てた。
「好きで読んでるわけじゃないぞ」と、慌てて訂正するが、実際はどうだか。少しばかり疑わしく感じられた。
というか、真意が掴めない。役無し達とは、という言い方に棘を感じて、何だかもやもやとした気分になる。

「なかよくっつーか、普通やと思うけど?」

特別親しくしているわけじゃない。話しかけられて、それに応えるのは社交上で欠かせない付き合い方だ。
決しては社交的な人間ではない。ともあれ、同じ場所で生活してる以上は無視するわけにいかない。
それなのにどうして責められるような言い方をされねばならないのか。腑に落ちないし、意味が分からない。

それにナイトメアの言い方だとまるでナイトメア達とはあまり親しくしてないみたいじゃないか。失礼な話だ。
確かに凄く親密だと言える仲ではない。そもそも、他人なのにいきなりそこまで友好的にはなれないだろう。
同じ場所で共同生活してるとはいえほんの短時間に過ぎない。まだ開けっ広げに接する程、親しくは無い。
まあ開けっ広げにせずとも約一名に筒抜けなのだが。プライバシーもへったくれもない。溜息が出そうだ。


「全部聞こえるわけじゃない。きみの場合、グレイとまではいかずとも読み難いんだ」

ナイトメアが言う。要するに読もうとしていたのは事実なんじゃないか。しかもその割にかなり聞いている。
「集中したら拾えただけだ」と、歯噛みする。おいおい最初に言っていたことと矛盾してるぞ。頑張れ夢魔。

はナイトメアと違い、他人の心など読めない。だから、声が聞こえるという感覚がよく分からなかった。
それがどんな風に聞こえているのか、も。だからナイトメアの言っている読み難いという感覚も理解し難い。
「雑音が入るようなものだ」、わざわざ説明どうもありがとう。ねえ、本当に雑音入ってるの?と、聞きたい。


「人の心の声なんてきいても楽しいもんちゃうやろ?」

心の声なんて醜いものが大半。わざわざ聞きたいとは思わない。始終流れ込んできても気持ち悪いだけ。
ナイトメアの言葉にはさして興味を示さず言う。それに対し「そうでもないさ」と、彼は口角を上げ笑う。

「醜いものは、楽しい。人を悪く言う同意者がいると愉しいように、それを見る側もまた楽しいんだ」

「醜いものは娯楽になる」と、続いた言葉にはげんなりとした目を向ける。「・・・悪趣味」と、小さく呟く。
ナイトメアはフッと笑った。余裕さえ感じさせるその表情が癪に障った。ナイトメアからふいっと顔を背けた。
「きみは潔癖だね」。届いた言葉。そんなことはない。「人の考えを知るのは怖いかい?」と、更に続く言葉。

「・・・・・べつに。興味無い」

胸の奥がざわつく。ナイトメアを一瞥すると相変わらず涼しげな顔をして憎らしい。そうだ、興味なんてない。
わざわざ噛み付くのも馬鹿らしい。短く吐き捨てた。不意にナイトメアがの髪に触れた。僅かに震える。
ナイトメアは手に取った一房を堪能するように弄る。「ほんとうに?」と、問われる。まただ、ざわざわとした。

気に入らない――まるで、全部知ってるかのような物言い。


の声は心地が良い」

フッと笑ってナイトメアが言った。それはどういう意味?そんなわけない。声が心地良いなんてあり得ない。いつだって暗欝としている。自分でもうんざりするくらいドロドロしていて醜い。それが心地良いわけがない。
それなのにナイトメアはの声に成らない言葉を首を横に振ってふわりと優しく否定する。「違うよ」、と。

「・・・・・」

言葉にしてない部分を否定されるとどうしようもない。かと言って、反論するべく上手い言葉が浮かばない。
相変わらず髪を弄るナイトメアにどうすることも出来ず、ただぼんやりと天井を仰いだ。どうしてなのだろう。

この人はどうして――どうして、こうも優しいのか。

分からない。理由もなく優しくされたところで他意があるようにしか思えないから自然と警戒を抱いてしまう。
おそらくナイトメアはこの声に気付いてる。それなのにいつも彼はそれに関する答えだけは与えてくれない。
だから余計に不安を煽る。信じて良いのか駄目なのか。信用に足る存在なのかどうかが、分からなかった。

距離を見失いそうになる。だから怖くて、踏み込まれることを拒んでしまいたくなる。だけどそれはできない。
彼は自分が滞在している領土の主。世話になってる身で流石にそんな恩知らずな真似は出来ないだろう。
だから彼と居る時はどうにかやり過ごそうとした。内側を浸食する様に掠めるものからひたすら目を背ける。
これは幻だ、と、気付かないフリをする。だって、そうでもしないといつか押し留められなくなってしまうから。


「いつだって、たった一つの名前を呼んでいる」

「それだけは絶対に裏切らないと、信じているんだね」と、ナイトメアが言う。その言葉に小さく肩が揺れた。
それが指すものが何か。なんて言われずとも分かっていた。「きみにとっての特別」。囁くように紡がれる。

否定はしない――できるわけない。


「きみが求める様に特別の名を呼ぶのを聞くのは、心地良い」

「少し、妬ましいがね」と、ナイトメアが笑う。この世界の住人は真似できない、居場所があり、特別を持つ。
の声が心地良いのは当然のことだ。いつだって不安に纏われて、怯え震えて何ひとつ信じられない。
そんな内面を隠すように強がっているが所詮は子供。その名前を呼ぶ瞬間だけ、その心は元の姿を映す。

ちらつかせただけで読み難い心が一瞬にして分かり易くなる。ナイトメアを見つめるは酷く無防備だ。
それは彼女にとって不可欠な存在。ほんの少し薄れさせただけでこんなに不安定な子供に戻してしまう。
今は意図して考えない様にしているらしいが、名を聞いただけでこのざまだ。背伸びをしても所詮は子供。
そんな余所者の子供をナイトメアは痛く気に入っていた。目を背け馬鹿みたく強がる姿も含めて愛おしい。


(・・・ネコも粋なことをしてくれるじゃないか)

ほくそ笑む

あれにしては珍しく粋な計らいだ。無限の時間の中で常に暇を持て余す役持ちに最高の玩具を寄こした。
今はまだ一部の者しか接触してないがその存在に少なからず他の役持ちも気付きはじめてはいるだろう。
この子を見て彼らはどう思うだろうか。似ても似つかない癖に連動しているものだからきっと気に入る筈だ。

まぁ、会わす気は無い――今はまだ。



「・・・・・。っていうか、話逸らし過ぎやろ」

不意に髪に触れていた手を払い落された。そして呆れた様に言われた。その顔には不安の色はもうない。
もう持ち直したのか。まるで何事も無かったかのように、暫らくの沈黙の後、あっさりと話を流してしまった。
ナイトメアは参ったとばかりに諸手を挙げて距離を置いた。好奇心でからかってみたがこれが限界らしい。

・・・・・きみってやつは、ムードってものを察せないのか?ああ、無理な話だったな恋愛初「だまれ」」

黙ってさえいれば美形なのに、口を開くと本当に碌な事を言わない。失礼な発言を容赦なく一刀両断する。
というか、別に恋愛初心者じゃない。付き合いの経験くらいはある。「遊びに行く方じゃないぞ?」と、一言。
何こいつほんと殴りたい。は顔が引き攣りそうになるのを堪えて深呼吸する。そして口を開こうとした。

が、


「こんなところに居られたのですか、ナイトメア様・・・と、も一緒だったのか」

声がして振り返ろうとした。ら、それより先に勝手に身体が反転。視線の先には佇むグレイの姿があった。
目が合って小さく会釈する。「グレイ・・・!べ、別にさぼってたわけじゃないからな!」と、背後で声がする。
どうやら勝手に身体が動いた原因はこいつだったらしい。ちゃっかり人を盾にしてグレイと向き合っている。


(――このやろう・・・!)



恋愛初心者という言葉を使う時点で初心者かと。

[2013年4月20日 修正]