「・・・・・そろそろ、話しを続けてもよろしいですか」

まるで話が進まない。呆れた様にグレイがナイトメアの講釈を打ち切る。ぐっと言葉を詰まらせるナイトメア。
だが確かに好い加減に話しを進めなければユリウスが部屋に戻りかねない。むしろ既に戻ろうとしていた。
それを「まあまあ」と宥めていたのはエースだ。傍目に見たら面白い光景に笑いを堪えるのが大変だった。

「あ、あぁ・・・」

心の中で一体どんな言葉を浴びせかけてられているのやら、そう応えたナイトメアの顔色は明らかに悪い。
自業自得といえど切欠の一端を担ったのはの発言(御愁傷様・・・)と、同情がてら密かにそう思った。
声が聞こえるというのも案外良いことばかりではないのだろう。ナイトメアを見ていたらつくづくそう思えた。

が、下手な同情は間違いだったと、気付いたのは直後に向けられた視線を受けてから。本当にしくじった。
余程酷い言葉を受けたのか、そうまで感極まる理由がにはさっぱり理解できない。したくもないけど。
感極まった目でナイトメアがこちらを見るが反射的に目を逸らした。成人男子にそんな目を向けられても。


、君がこの世界に来たきっかけについてだが・・・」

またしても会話が停滞しそうな展開にグレイが咳払い一つ。びくり揺れたナイトメアの肩。一瞥して言った。
確かに全面的に世話するとは言え、ある程度の把握をしておきたいのは世話を見る側の心理なのだろう。

切欠は先程ナイトメアがばらした通り。思い出したくもない醜態に他ならない。それから貰った栄養ドリンク。
他に何か変わったことは無かったかと尋ねられ記憶を手繰り寄せる。際立った何かがあったわけじゃない。
視線を一身に浴びて心地が悪い。が、それから逸らすように今に至るまでの経緯を振り返るのに集中した。

―― メ ヲ ア ケ テ ・ ・ ・

「・・・あっ!」と、口から洩れた声にユリウスが「何だ?」と尋ねる。継いで3人分の視線がに注がれた。
それが夢なのか現実か分からない。もしかしたら聞き間違えの可能性もある。曖昧な話をして良いものか。
だが「どんな些細なことでもかまわないから」と、促したナイトメアに後押しされておそるおそる口を開いた。


「声・・・?みたいなのが聞こえたんよ」

世界が拓かれる刹那。「・・・声?」と疑問。はたしてアレを声と呼んでいいのか微妙。が、感覚として残る。
聞き返されて小さく頷いた。それは続けて手を伸ばしてと囁いた。そして誘われるがままには従った。
得体の知れないものに従うなんて正気の沙汰ではない。が、自然と馴染む声に身体は無意識に動いた。

「・・・・・『掴んで』・・・って?」

不意に顎に手を当てて、珍しく考え込んでいたエースがそう口にした。その口から紡がれた言葉に驚いた。
なぜ知っているのか。言葉にしなくとも、顔に出ていたのだろう。エースはそんなを見て小さく笑った。
「俺も聞いたよ、多分」と、まるで何てこと無い風にエースがさらりと言う。彼もまた声ならぬものを聞いた。

「お前も聞いたのか?」

そう問うたのはユリウスか、ナイトメアか。エースの言葉に何よりも驚愕を禁じえなかったのはだった。
エースもそれを聞いたと言うなら、彼ならそれを表現する方法を知っているだろうか。あの声ならぬものを。
少なくともにはそれを伝える方法を持たない。アレが何なのか、今も薄れつつあるそれが分からない。

「多分、って言っただろ?正確にはちょっと違うけど・・・うーん、難しいな」

と、あっけらかんと言う。彼もまた表現の術を持たなかった。エースの態度に場の者が皆一斉に脱力する。
一気に力が抜けた。彼の言葉は的を得ない。砂に撒くような、曖昧なそれに苛立つのはだけでない。
は人知れず溜息を漏らした。あの感覚を共有できる人が居たのだと思ったが、どうやら勘違いだった。

「念のために一応聞いておこう・・・何と言っていた?」

果たして参考になるのか、頭が痛むのを堪えてグレイが尋ねる。「言葉じゃないよ」と、よく分からない言葉。
要領を得ないエースの言葉にグレイは思わず眉を顰めた。下手すれば舌打ちさえしかねない妙な雰囲気。
明らかに不穏な空気を孕むものだから、の視線も右往左往する。しかし誰も場を宥めようとはしない。

堪らず口を挟もうとしたが、それを阻んだのはナイトメアの指。人差し指を唇に宛がわれては何も言えない。
しかしこれでは話が進まない。物言いたげな視線を向ければナイトメアは肩を竦めてにが笑いを浮かべた。
そして耳元に唇を寄せると「下手に手を出さない方が賢明なんだ」と、囁く。要は巻き込まれたくはない、と。
呆れた、とは言わない。とて厄介事は好まないし、巻き込まれるなんて以ての外だ。が、例外はある。


「・・・・それって、声?音?」

手は出さない。でも口は挟む。緊迫した空気の中に響いたのは場にそぐわないあどけなさの残るその声。
我ながら曖昧な聞き方だと思った。が、他に浮かばなかった。声とも音とも取れない。でも確かに聞こえた。
エースもそれを聞いたというならその表現のし辛さは分かって貰えるだろう。二人分の視線が向けられた。

「両方・・・かな」

暫らく考えた後、エースが応える。勘でしかないが恐らくが聞いたそれとエースの聞いたものは類似。
だが同類ではない。だからそれぞれに届いたものは違った。内容が何なのかまでは分からないけれども。
答えでは無い。だが、もエースもそれに引き寄せられたのだろう。それはエースの言葉で確信を得た。

「つまりは何だ。ふたりとも、声とも音とも取れないものに導かれた・・・と?」

これはおそらく体感しないと分からない。確認のために口を挟んだグレイだが何とも言えない顔をしている。
その問いに片や笑顔、片や肩を竦め苦笑いで頷く。二人の意見が合致しているのだから本当なのだろう。

が、


「なんだなんだ・・・羨ましいほど惹かれ合ってるじゃないか。騎士もも」

解せない点は山程ある。だがそれらをあっさりと流してナイトメアが口を挟んだ。一瞬、場の空気が凍った。
喉を潤そうと用意してた珈琲を盛大に噴き出したのはユリウス。そしてグレイの手から書類が滑り落ちた。
言葉を理解するまでに時間を要した。唖然とした顔でナイトメアを見つめた。何言っちゃってんのこのひと。

「ああ・・・多分ね」

と。「実はお前が呼んだんじゃないのか?」と、したり顔でからかおうとしたナイトメアに対して笑顔で返答。
不意に肩を抱き寄せられた。確信犯にも見えるその含んだ笑みと共に紡がれた言葉に一同は沈黙する。
ナイトメアの顔が引き攣った。ハッとしたように「・・・おい、離せ」と、グレイがをエースから引き離した。


「おい騎士・・・それは洒落にならないぞ」
「・・・くだらん冗談は止せ」
「ふざけるのも大概にしろエース」

どこからどこまでが本気か分からないのがこの男の怖ろしいところ。居合わせた役持ちの意見が合致する。降り注ぐ容赦ない言葉達にエースは「ユリウスも皆も酷いぜ」と、別段気にした様子もなく朗らかに笑った。
発言内容はまるで爽やかでないのは如何ともし難いことだ。に至っては完全に石化してしまっている。



「おい!しっかりしろ」と、軽く揺すられて我に返った。ハッとした様には揺すった相手に視線を向けた。
愛想の無さからしてユリウスだと思ったが案の定。我に返ったは落ち着こうと小さく息を吸い込んだ。
何をそこまで驚いたかと言うと単純な話で"惹かれ合う"なんて、日頃からまるで縁の無い言葉に対してだ。
年若く恋愛経験も少ないにしたら巷でいう卑猥な言葉よりも余程、羞恥心を煽る単語であったらしい。


「・・・・・言ったら絞める」

ナイトメアが小さく噴き出しそうになるのを堪えた。またしても人の心を須らく読んだのだろう。覗き夢魔め。
余計な発言をされる前に釘を刺しておく。静かに紡がれたその声にドスがきいてたのは気のせいなのか。
傍から見れば迫力に欠けるだろうが、その心中から本気を悟ったナイトメアのみ思わず噎せて咳き込んだ。

「わかった。これは私の中に留めておくとしよう。にしても・・・」

「きみにも可愛らしいところがあるんだな」と、皆で言い切る前にナイトメアにティッシュの箱が高速で飛ぶ。
思っていたより勢い付いて飛んできたそれを「うわっ!」と、これを漏らしナイトメアが身体をずらし避けた。

小さな舌打ちが聞こえる。「きみってやつは・・・っ!!」と、ナイトメアが非難の声をあげるが知ったものか。
「うるさい覗き夢魔」と、吐き捨てた。バラすなと言ったそばからバラしてくれようとした口の悪さに辟易する。
否、本人としては守ろうとしてたつもりなのだろう。が、あくまでつもり。全く以って守れてないなら無意味だ。
頭を抱えたいのを堪えるのと同時に言いたい言葉を無理矢理飲み込んだ。そして落ち着こうと息を吐いた。


「・・・それで、話しを戻すが騎士は関与していないんだな?」 「俺は何もしてないよ」

言葉を介さないとナイトメアのやり取りに全てを知ることは出来ない。グレイは呆れつつ話しを進めた。
念を押すようにエースに確認する。今回に限っては関与した可能性は限りなく低い。が、一応、念のため。
返事は案の定。先程のそれは冗談であったらしい。性質の悪い冗談だが、エースはあっさりとそう答えた。

「だが、こいつらが何らかの形で繋がりがあるのは確かだろう」

それは定かではない。が、少なくとも話しを聞く限り無縁だとも言い難い。そう言葉にしたのはユリウスだ。
このワンダーランドに余所者がやって来ること自体が滅多にないが、こんな出来事は初めてのことだった。

「なんらかの形って・・・」

そんな曖昧な話ってあんまりだ。とは思っても、彼らにとっても予期せぬ事態ならばそれも仕方の無いこと。
だが考え方を変えればそれは元の世界に帰る方法に繋がる可能性もあるということ。決してゼロではない。
不確定で不安を煽ったが、今はそれが少なからずにとって希望にもなった。早く元の世界に帰りたい。

はっきりとしか描けない怜のことを考える度に苦しくなった。温もりも鼓動もはっきり記憶しているか余計に。
忘れさせるならいっそ全て忘れさせたら良いのに。中途半端で、元の世界への帰郷を求めて心が急いた。
焦れば失敗するのは目に見えている。理解はしていても、心は納得せず焦るばかりで思う通りにならない。

そして――思い知らされる。


(怜離れ・・・まったくできてへんなぁ)

苦笑

自分は怜に依存し過ぎているのだ、と。家族でも友人でも、ましてや人ですらない。怜に対してこんなにも。
いつか訪れる別れは知っている。だとしてもこんな調子では先が思いやられると自分でも呆れてしまった。
だから前向きに捉えよう。これは自立への一歩。ほんの少しだけ成長して怜の元に帰ろうと、そう決めた。


「なら、話しは早い。騎士。お前がの全責任を持て」

人知れずが決意を固めたのを尻目に、不意にナイトメアが言った。前後聞いてなくて話しが読めない。
その発言に「ナイトメア様」と、明らかに不満の伴う声をあげたのはグレイ。ユリウスさえ言葉を失っている。
位置的に表情が見えない。否、見えなくて良かった。とてもではないが今はエースの方を見られなかった。


(とばっちりにも程があるやろ・・・!!)

声にならない悲鳴

偶然の一致如きで余所者の小娘の全責任を負わなければいけないなんてとんだとばっちりがあったもの。
突拍子の無い発言に度肝を抜かれた。なるべく迷惑を掛けない様にと心掛けたのにそれ以前の話である。
迷惑そのもの。これでもエースはハートの騎士の役を持つ有力者の一人だ。決して暇人ではないだろうに。


「俺は別に構わないぜ?」

「まあ仕事中は流石に面倒見切れないけど」と、口を開こうとしたユリウスを遮りエースがあっさり受けた。
その言葉に信じられないものを見る様な目でユリウスがエースを見た。否、正しくはその場に居た全員だ。
言い出した張本人のナイトメアがその反応とはどういう了見だ。だが、余程受けたことが意外だったらしい。

「いや、あの・・・その、流石に自分のことくらい自分で責任持つ・・・よ?」

口を挟んで良いものか悩んだが流石に忍びなくなって口を開いた。途端に今度はに視線が注がれる。
そこまで面倒を見て貰うつもりはない。自由の中で育ったにとって責任は常に付いて回るものだった。
何をしても構わないが全ては自己責任の取れる範疇で、と、放任主義の中でそう培われては育った。

「ほら、俺って騎士だろ?女の子を守るのも仕事の一つなんだよ」

先程の物言いと一転してエースが爽やかに笑い、言う。面倒見切れないと言ったのはどこのどいつだ、と。
自分のことは自分で責任を持つと言ったら何故かエースに「まあまあ」と宥められた。意味が分からない。

「お前が騎士かどうかはさておいて・・・。きみが思っている以上にこの世界は危険も伴うんだ」

力を持つ者が傍に居た方が安全だ、とナイトメアは言った。日頃から常に一緒というわけでもないから、と。
普段はクローバーの塔が世話を見る。だが責任を取るのはエース。よく分からない理不尽な言い分だった。
逆に言えば、さえ大人しくしていればエースの手を煩わせることはない。だがなんとなく釈然としない。

「・・・・・」

言いたい事はあった。だがそれ以上、言葉にしても無駄と悟る。この声はおそらくナイトメアに届いている。
なのにそれに関して触れないということはつまりそこはが弁えろということ。言っても無駄なのだろう。
発散されることなく有耶無耶にされたそれを散らすべく溜息を漏らす。そうすることでしかやり過ごせない。

「と言うことで・・・よろしくな?」

そう言って、肩にエースの手が乗せられた。緩々と面倒臭そうに顔を上げると笑顔のエースと目が合った。
どこまでも澱みない爽やかな笑顔。否、爽やか過ぎる。言いたい言葉を飲み込んでは曖昧に笑った。



だから苦手・・・・なんて、言えない。

[2013年4月1日 修正]