あまり外に居ると身体を冷やすから、と場所を移動する事になった。案内された部屋は広くて驚かされた。
だだ広い部屋に少女が一人と大人の男が4人。珍妙な組み合わせだとぼんやり思いながら椅子に座る。
腰掛ける際、紳士的に椅子をひいてくれたのは、を受け止めてくれた胡散臭い爽やかな青年だった。

夢とか夢じゃないとか、変な世界にトリップしたとか、あまりにも唐突に予想だにしない出来事が起こった。
自分でも少し混乱しているのだと思う。さっきから頭がぼーっとして入って来る音が素通りして流れていく。
現時点で分かっているのはここがクローバーの国と呼ばれる地でクローバーの塔と呼ばれる場所に居る。
目の前に居る人達がエース、ユリウス、夢魔、トカゲと呼ばれる存在であること。後半は名前じゃ無いけど。


「・・・ありがとうございます」

身体が温まるから、と、トカゲと呼ばれた人物が渡すマグカップを受け取り礼を言う。中身はココアだった。
口付けると猫舌なには少し熱かったが特有の甘さにホッとする。やはり疲れた時は甘いものに限る。
とは言え、いつまでもその甘味に浸ってられないのが辛いところだ。いつまでも現実逃避をしてられない。


(どうしたもんかなぁ・・・)

内心 思う

マグカップを両手で包み込むように持ちぼんやりと視線だけで天井を仰ぐ。どうすべきか見当がつかない。
動作だけ見るとそんなに緊迫した風に見えないが実際は割と焦って居る。どうも感情が表に出難いらしい。
本人的には十分に出しているつもりだが周囲から見ると見えないらしく、昔からよく誤解される事があった。
何とも不便な体質だと思う反面、笑ってさえいれば円滑に人間関係が築けるから悪いことばかりではない。


「そう気負わなくても大丈夫。きみを歓迎すると言っただろう?」

デスクの上に幾つも積んである書類の山の隙間から顔を覗かせたナイトメアがに向かってフッと笑む。
歓迎して貰えるのは幸いだがは言葉にしていない。だというのにそれを理解して口にしたナイトメア。
不審な目を向けたところで仕方ないだろう。向けた目は無感情だがその内側には警戒心が見え隠れする。

「それはありがとうございます。でも・・・」

知らない人に付いて行ってはいけないというのは鉄則だ。この場合、ついて行ったわけではないのだけど。
それに見知らぬ子供あっさりと受け入れる理由が分からない。理由もなく親切にされるだなんて不気味だ。

「きみは・・・随分と警戒心が強いんだな」

そう言って、ナイトメアはにが笑う。目の前の少女から薄らと聞こえる心の声は警戒心に満ち溢れていた。
確かに警戒心は薄いより強い方が良いのは確かだ。しかし、それは警戒心というよりかは猜疑心に近い。
たとえ心が読めたところで背景やその全て分かるわけではない。少女がそうに至った経緯は分からない。
別にそんなつもりはなかった。その言葉に返す言葉が浮かばず、は濁す様に肩を竦めて頬を掻いた。

「そうでもないですよ・・・?」

多分。と、内心付け加えて愛想笑う。警戒心が強い以前にこの状況下でヘラヘラ出来る程、馬鹿じゃない。
否、現在進行形で愛想笑いを浮かべている辺り、馬鹿なのか。妙に納得出来たが話題が逸れてしまった。

――心を落ちつけようとココアに口を付けた。


「たぶん・・・・・そ、そうか」

会話する気が端から無いのだろうか?ナイトメアは少女の心が不思議な程声を立てないことに疑問を抱く。
とは言え、中には心を読み難いタイプの人間がいるのも事実。何よりその代表例が彼の側近なのだから。
「ところで」と、改まった様にナイトメアが咳払い一つ口を開いた。は首を傾げその言葉の続きを待つ。

何を言われるのかと思いきやまさかこのタイミングで名前を尋ねられるとは思うまい。きょとんとした表情。
「私はナイトメア=ゴッドシャルクだ」と、夢魔と呼ばれた男が名乗る。ナイトメア、悪夢――だから夢魔か。
ナイトメアの傍らに控えていた男が「グレイ=リングマークだ」と、それに続いて名乗る。ああ、だから蜥蜴か。
名乗られた以上、名乗り返すのが礼儀。だがまだ完全に信用に値するか分からない相手に名乗るのか。


「・・・ です」

一瞬の間、そして諦めた様に小さく溜息を漏らしては名乗った。彼等の後に名乗ると違和感があった。
特有のイントネーションだから間違いはしないだろうが一応「名前はの方です」と、初めに伝えておく。
すると不意に横からエースと呼ばれた人物が「へぇ・・・っていうのか」と、脱力しそうな声で口を挟んだ。

「・・・知らなかったのか?」

訝しげな表情でユリウスが尋ねた。最初にを発見したのはエースで既に知っているものと思っていた。
するとエースは肩を竦めて「聞く前にユリウス達が来ちゃったんだよ」と、答えた。確かにあれは忙しない。
「俺はエース。ハートの騎士だよ」と、どこぞの体操のお兄さんを連想させる爽やかな笑みを浮かべて言う。


(・・・○ろみちおにいさん?)

ちょっと 思った

そもそもそんなに見てなかったから名前くらいしか知らないけど。○ろみちおにいさん=爽やかの代名詞。
何とも勝手なイメージだがエースの言葉を聞きながら何となく思った。刹那、盛大にナイトメアが噴き出す。


「そ、それは違うぞ・・・!!」

こいつは爽やかなんかじゃない!と、唐突に声を荒げる。何なんだ一体と冷めた目を向けるのも仕方ない。
何となく感覚的に心を読まれている気はした。しかし事実を言葉にされない以上は気付かないフリをする。
気付いたからと言って言葉にしたところで拗れるだけだ。フリをするのは得意だから、はフリを続けた。

「酷いなぁ・・・夢魔さん」

確かにこれは爽やかではない。にこやかに笑って今にも腰元の大剣を抜きそうなエースを横目で眺めた。
顔を引き攣らせたナイトメアと、二人の間に立ちはだかって守る姿勢のグレイ。どちらが騎士か分からない。
エースは見た目だけは爽やかで、自分で騎士だと言っていたがどちらかいうと悪役の方が似合いそうだ。

見方を変えれば微笑ましいやり取りを尻目にうんざりした顔をしているユリウスと呼ばれた男に目を向ける。
「貴方は?」。エースにユリウスと呼ばれていたから名前はそれだろう。が、いきなり呼ぶのも気が引けた。
遠慮がちに尋ねるとこちらを見た。冷めた目。きっと心底、面倒事が嫌いなのだろうな、と、何となく思った。
「ユリウス=モンレーだ」と、抑揚のない声が返る。無視されると思っていたから、返事に少しだけ驚いた。


「それよりも・・・どうやって此処に来た?」

とは言え、そのまま聞き流すことも出来ず小さく復唱し挨拶代わりに頭を下げる。まだ信用はしていない。
だが直感的にユリウスは信用できる人間だと思った。否、それは願望に過ぎないのかも知れないけれど。
一瞬、たじろいだような反応を見せたユリウスだが、すぐに本題に移った。無駄なことを好まないのだろう。
も無駄は嫌いだ。故にさっさと本題に入ってくれたことはあり難い。が、今度は説明に困ってしまった。

「階段を踏み外した後に異空間に巻き込まれたらしいぞ」

だが、ナイトメアは簡潔に不名誉な原因まで添えて説明してくれた。エースが小さく噴き出す声が聞こえる。
ナイトメアの後ろでグレイが笑いを堪えているのが見えた。いっそのこと、笑うなら思いっ切り笑ってしまえ。

――しかも根本的な部分の説明になってない

これでは異空間に巻き込まれた点を除いて不名誉を晒しただけ。しかもナイトメアの野郎、確信犯だろう。
仕返しのつもりなのか向けられた隻眼はにやにやとしている。(・・・あとで一発殴る)。思うだけならタダだ。
が、次の瞬間ナイトメアが盛大に吐血した。もう一度言う――吐血した。「ナイトメア様!」と、グレイの声。


「き、きみってやつは・・・大人しそうな顔して何てことを考えるんだ・・・」

ぐったりしたナイトメアがそう言った。本人としては別に大人しいつもりは無いしそれは偏見っぽい意見だ。
むしろいきなり目の前で吐血されたこっちの方が吃驚である。まさか吐血までするとは思いもしなかった。
それよりも起きていて大丈夫なのだろうかこの人。あまりの衝撃に未だに心臓がばっくんばっくん鳴ってる。

「いや・・・一発殴りたい、くらいで吐血されるとか普通思わへんやろ」

動揺を堪えながら間髪入れず突っ込む。実際にやるかどうかは別として、思った程度で反応されるなんて。
それにこれくらい普通だ。通り過ぎる人は皆、見当がつかない様な中身を持っている。見た目に因らない。
今こうしてにこにこと笑って話していても内側でどんなドロドロした事を考えているか分かったものではない。


(だから・・・信用できない)

自分も含めて

信用なんてしない。表面上の言葉を信じていたら最後に馬鹿を見るのは自分。正直者は馬鹿を見るもの。
少なくとも自分は正直者ではない。だから他人に本当の部分を見せることはしない。また見られたくもない。
不意に神妙な顔でナイトメアが名を呼んだ。どうしてこの人は出会って間もない人間を気安く呼ぶのだろう。


「それは違う。少なくともここに居る者はきみを疎んだりはしない」

まるで言い聞かせるような言葉。心を読まれるのは案外厄介かも知れない。はナイトメアを一瞥する。
一瞬向けられた瞳はあまりに無機質だった。全てを拒絶しているのだと悟る。が、次に浮かぶのは笑み。
先程までの刹那が存在しなかったように愛想笑いを浮かべてはナイトメア達に向き直り、口を開いた。

「あー・・・それで、どうやって来たかって話なんですけど」

我ながら無理矢理な方向転換だと思った。が、これ以上の詮索はあんまり気分の良いものではなかった。
たとえ相手が友好的であったとしてもそれをすんなり信用できる程、素直じゃない。そこまで馬鹿ではない。
「関係あるかないかは別として飲み物を貰ったんです」。思い出すだけでも顔を顰めたくなる様な味だった。

「飲み物・・・だと?」

反応したのはユリウスだった。言葉に威圧感があって少したじろぐ。「ちょっと待って」と、告げて鞄を漁った。
瓶が可愛かったから確か残しておいた筈。衝撃で割れて無ければ良いのだが。そして鞄の底で見つけた。
「これ」と、差し出すとその場が静まり返った。ユリウスに至っては――見なければ良かった。怒っている。

「えっと・・・「誰に貰った」」

最早、疑問形ですらない。責め立てる様なユリウスの口調には思わずびくりと小さくだが肩を揺らした。
から直ぐに返答が無い事も気に入らなかったのだろう。それに対し「おい」と、ナイトメアが異を唱える。
しかし、ユリウスにとって問題はそこではない。「うるさい!誰かがこの()に薬を渡したんだ」と、怒鳴った。

ヒステリックかよ、と思ったのは否定しない。だが更に続く「私に無断で」という言葉に彼が権力者だと知る。
それに対してナイトメアが反論し、口論に発展したみたいだがその内容には正直微塵の興味も無かった。
考えるべきはどうやって元の場所に戻るか。こう言っては何だが勝手に始まった口論にまで付き合えない。

――関係無い。

冷静になりユリウスの言った「誰に貰った」というのを考え直す。くれたのはあまり面識のない級友だった。
思えばどうして記憶にも残らない様な相手から貰ったものを飲んだのだろう。数時間前の自分を殴りたい。
それに可笑しなことに級友の顔を思い出そうにも思い出せないのだ。否、それだけじゃない。悪寒が走る。


(・・・なん、で?)

焦燥

どうして、元の世界の事が上手く思い出せないのだろう。名前も、大切だと思った感情も確かに存在する。
なのにどうしてその顔を思い出す事が出来ないのか。家族のことだって覚えてるし、怜のことも覚えてる。

なのに――


「・・・?」

動揺が大きくて取繕う事も出来なかった。ナイトメアが驚いたようにこちらに目を向けての名を呼んだ。
無意識に表情を隠す様に俯く。そのことに最初に気付いたのはユリウスをからかっていたエースであった。
何か言ってるようだったが、衝撃の方が大きくてそれはぼんやりと両耳を素通りしていく。足元が覚束ない。

――怜の顔が、うまく描けない。


「なん、で・・・?」

呟いた声は酷く情けなかっただろう。縋る様にナイトメアに向けた漆黒の双眸は今にも泣きだしそうだった。
今まで強がっていたのが嘘の様にあっさりと瓦解する。怖かった。世界に独り取り残されたような気がして。
怜がいない世界が存在する。いつか訪れると理解してても怖かった。まだその日は訪れてない筈だから。


だから、



一つ足りないだけで、世界は脆く崩れ落ちる

[2013年4月1日 修正]