おいでひとときの夢の世界へ(ゆめのせかい?)そうさ、きみが愛されて必要とされる世界だ(ありえない)
あり得ないなんてことはあり得ないよ、この世は広い そしてきみは選ばれた(選ばれた?)そう、選ばれた
だからおいで――みんなきみを待っている(まっている?)そう まっている きみが来るのを心待ちに――ね

おいで――ふしぎな不思議な世界(ワンダーランド)



(だけどね けっきょくさいごにえらぶのはきまっていて せんたくしはひとつだけしかない)


鳴り響く音


落下、次いで浮遊感。原因は分からないが、突如として体感したその感覚には思わず目を瞬かせた。
人間だれしもツいてない時もある。級友から貰った流行らしいドリンクを口にした直後、階段を踏み外した。
落下はまだ分かるが解せないのはそれが続行していること。落下するにせよ階段にしては間が長過ぎる。

そもそも何で階段から落ちる事になったのかという話だが、「おいしいよ」と勧められては蔑ろにできない。
味に関しては思い出したくもない。巷で人気らしく、ハートのレリーフの入った硝子の小瓶の器は可愛い。
だが味はその見た目に反して苦かった。甘ければ良いというわけでもないが、アレはあまりに酷いだろう。
どうして商品化したのかと商品部にクレームを入れたくなるレベルだ。思わずふら付いて階段から落ちた。


(綺麗かも・・・)

ぼんやりと思った

その空間は砂時計の砂が零れ落ちる様にきらきらと金色の光の粒が零れていた。その中には居た。
階段から落ちただけでは絶対に体感できないだろう幻想的な光景には思わずぽかんとした顔になる。
これはアレか、当たり所が悪くてけっこう危ない状態に陥ってるのか。それにしては平静過ぎておかしい。
もう一度辺りを見渡した。眩い黄昏色の光に心が安堵したのが分かった。温かい太陽の色。大好きな色。
それに浮遊感。包み込まれる様な心地良さにはそっと目を閉じた。ずっとこのままで居たいと思った。


―― メヲアケテ ――


耳に届いたそれに弾かれたように目を開けた。この空間で自分以外の他の音声が聞こえるのはおかしい。
だが確かにそれは聞こえた。手を伸ばして、掴んで――と。分からないものに従うだなんて正気ではない。
それでもは無意識にその手を伸ばしていた。不意に金色の光の粒達が弾けて空間が切り開かれた。


「え・・・っ」

思わずそんな声が漏れる。辺りを見渡すとどこまでも広がる蒼穹が視界に映った。ふたたび落下の感覚。
いやどう考えてもこれは駄目だろう。落下に対する悲鳴を出そうにも声が喉に貼り付いて上手く出てこない。
加速する落下速度に今度こそ終わったなと内心思う。たかが十四年、振り返ればつまらない人生だった。

案外呆気ないものだとぼんやり考える。だんだん空以外が見えはじめたところから考えるに地面が近い。
あくまで勘だが、速度的に考えてたぶん受け身を取っても無傷で済まない。そういう趣味はないのだけど。
頭を打たなければ辛うじて命くらいは拾えるか。妙に客観的に捉えてる自分にほんの少し自嘲が浮かぶ。
別に死にたいわけではないが、此処で死んでも後悔が残るというわけではない。ただ終わりがあるだけ。


(あー・・・・・でも、怜に会えへんのはヤやなぁ・・・)

脳裏を掠める 黄昏

名前ははっきりと浮かぶのにぼんやりとしか姿が思い描けないのはきっと落下による酸素不足の所為だ。
いつだってを包み込んでくれるその存在に思い馳せると心がホッとする。だから、会えないのは嫌だ。
会えなくなるのは怖い。否、会えないことよりも独りで居ることが怖ろしい。あの孤独はもう味わいたくない。

だから帰らなければ――と、思う。

とは言え、あくまでそれは気持ちの上の話であり現状は落下状態にあるにどうこうできることじゃない。
結局落ちるしかないんじゃないかと考えて溜息。確かに落下に対する恐怖や何やら色々と混乱している。
それらをまとめて解決する方法が浮かばない今、成す術が無い。変化する景色に地上が近いのを察した。


「!!」

反射的に目を瞑る。が、叩きつけられる感覚より先に温かい何かに受け止められる感覚がを包んだ。
次ぎ「おっと」と気抜けしそうな声が降って来る。おそるおそる目を開けるとこちらにひらひら手を振る人影。
理解が追い付かず驚いた風に目を丸くして受け止めてくれた人物を見つめる。眩しいくらい爽やかな笑顔。

「まさか空から人が降って来るとは思わなかったぜ」

聞いてる側が気抜けしそうな物言い。確かにとて落下して受け止めて貰えるとは思ってもみなかった。
否、受け止めて貰えなければ大変なことになっていた。もしも、を、想像すると今更ぞくりと背中が粟立つ。

「・・・・・ありがとうございます」

それよりも目の前の人物の爽やかなこと。呆気にとられながらも辛うじて口を開き紡いだのは感謝の言葉。
「君、礼儀正しいんだな」と、ずれたところで感心しながら、爽やかな青年が丁寧な所作で降ろしてくれた。
何と返して良いか分からず笑って誤魔化す。そして周囲に目を向けた。ビルの上なのか地面が未だ遠い。


そう、ビルの上

・・・・・・・・・

ビルの上

・・・・・・


ビル、の・・・


「階段から落ちてなんでビルの上!?」

「・・・うそやん」と、は思わず叫んだ。現状はしたくないがどうにか理解は出来た。だけど認めたくない。
地上に見えるのはファンシーというかメルヘンチックな建物の数々。少なくとも、の世界にはなかった。
というか、普通に考えて階段から落ちて別世界なんて現実にあり得ない。夢の世界だというならまだしも。

「ビルっていうかクローバーの塔だけどね」

自分は階段から落ちた・・・筈が、気付いたら外に居て、落ちていて、あわや地面とこんにちはするところだ。
救ってくれたのは目に痛い真っ赤な服を纏った爽やかな青年。そして青年は驚いた様子もなく平然と言う。


(・・・クローバーの塔ってどこですか)

内心 突っ込む

そんな名称は初めて耳にした。否、おそらく元の場所にそんなものなかった。そんなメルヘンチックなもの。
考えれば考える程に混乱する頭を落ち付かせながらは小さく深呼吸する。ひとまず落ち着こうか自分。
そう言い聞かせようとしている時点で如何に冷静になれてないか分かる。むしろそこまで図太くなれない。

とりあえず――ここ、どこですか?

尋ねられたらきっとここまで困惑しなかった。尋ねたところで知らない場所であるのは火を見るより明らか。
帰り方なんてまるで見当がつかない。気分はアレだ、犬のおまわりさんの歌の迷子の仔猫ちゃんの気分。
名前は分かるが家が分からない。否、分かるだろうけれど、絶対に通じない気がする。泣きたくなってきた。


「・・・・・」

先程から悶々としながら溜息を連発する少女の一部始終を見ていたエースはどうしたものかと頬を掻いた。
ユリウスに呼ばれてクローバーの塔を訪れた。塔の一室と繋がるユリウスの部屋に向かう予定だったが。
塔に入った途端に声が聞こえたのだ。否、それは声とも言い難いとても小さな音。それに自然と誘われた。

そして辿り着いたのは塔の最上部だった。辿り着くのにもちろん相応の時間を要したのは言うまでもない。
途中でクローバーの塔の主ナイトメアとその部下グレイとも遭遇したが何を話したかあまり覚えていない。
ただ引き寄せられるように声に誘われた。「こんな経験は初めてだったよ」と、後にエースは親友に語った。
辿り着くと空がどの時間帯にも当て嵌まらない色に染まった。それは刹那のことで、後に人が降ってきた。


――そして、今に至る。



「あの、ここ・・・「おい!騒々しいぞ」」

どこですか、と尋ねようとしたの声を遮ったのはユリウスの声。そういえば塔の最上部は部屋に近い。
ユリウスの後から姿を見せたのはナイトメアとグレイ。どうやら彼等も役持ちとして何か感じ取ったのだろう。
第三者どころか一気に増えた人には僅かに後ずさる。知らない場所に、知らない人間では緊張する。

「脅かすな時計屋」 「確かにさっきの声は大きかったもんなぁ」

沈黙を怯えと捉えたのかユリウスを諌める様にグレイが口を開いた。そしてエースが飄々と言ってのける。
場の雰囲気にそぐわない爽やかな笑い声に脱力しそうになる。確かに声の大きさに関して否定できない。
「どういうことだ」と、ユリウスが言及する。とは言え、聞かれたところで「俺にもさっぱり」としか言えない。


(塔・・・の、住人さんやんなぁ・・・あれ?これって不法侵入?)

それを見ながら思う

だとすると集まったのは警察にでも引き渡すためなのだろうか。否、いっそのこと、そっちの方があり難い。
罪状は不承不承ながら、元の場所に帰れるのなら仕方なくだが受け入れよう。取り敢えずはやく帰りたい。

――そうと決まれば話は早い。


「あの、こ「ようこそクローバーの国へ、我々はきみを歓迎するよ」」

どうして最後まで言わせて貰えないのか。まるで謀ったかのように言葉を紡いだナイトメアに掻き消される。
がっくりと項垂れそうになるのを堪えて息を吐いた。が、ふとナイトメアの言葉にある単語に動きが止まる。

「・・・クローバーの国?」

思わず尋ねた。メルヘン調な風景でおかしいことは分かる。だが、そんな地名をは聞いたことがない。
海外の地名を調べたらあるのかも知れないが少なくともの居た日本には存在しない。どういうことだ
頭を抱えたくなる。自分は学校の帰りに飲んだ栄養ドリンクのあまりの不味さに階段から足を踏み外した。

――あまり思い出したくない不名誉な経緯だった。


「ところでさ、仕事の虫のユリウスはともかくとして、夢魔さんも気付かなかったのか?」

「この子の入国」と、打って変わって(正しくは話をすんなり流して)エースがナイトメアに尋ねた。入国とな。
嫌な予感しか感じさせない単語に密かに眉を顰めた。いい加減、否応でも理解せざる得ない状況にある。
が、どうしてもそれを認めたくのは人生に一度あるか否か。否、出来ればナシでお願いしたい事象だから。
異世界トリップが存在するなんて誰が想像出来ただろうか。願わくばこれが夢であって欲しい、と、思った。

「あぁ、不安げな声が聞こえたから上に来たんだが・・・」

そう言って、ナイトメアはに視線を向けるとフッと意味深に笑った。向けられた隻眼につい目を逸らす。
もともと他人と目を合わすのは好きではないがナイトメアの隻眼は尚更だった。その深い色に呑まれそう。
「入国したのは気付かなかった」と、ナイトメアが言葉を続けた。その言葉にグレイが驚いた表情を見せた。

まさかナイトメアが気付かなかったのは意外だった。声といっても聞こえたのは先程だとナイトメアは言う。
ユリウスに至っては仕事に集中し過ぎて全く気付かなかった。最上階の部屋のため騒ぎで気付いた様だ。
仮にも時計塔の番人がそれで良いかと思ったが、ここは時計塔では無い。勘が狂うのも仕方ないだろう。



「あの・・・ここ、一体どこなんですか?」

三度目にして漸くすべて言い切れた。残念ながら今までのやり取りを聞いた限りで分かった事もあったが。
『入国』という単語に加え『クローバーの国』という単語。ここがクローバーの国と呼ばれる地だということ。
頭の中にある記憶の知識をすべて絞り出してもこれだけは言い切れる。そんな場所は存在しなかった、と。


(夢なら良いのに・・・)

ぼんやり思う

妙にリアルな夢オチなら良い。階段から足を滑らせて間抜けにも頭を打って意識を飛ばしているだけとか。
いつも見ている夢より尺が長くてシュールな夢だ。目が覚めたら保健室もしくは自宅のベッドなんだろうな。
怜が最初に覗き込んで顔を舐めて、その後に母が荷物を届けに来てくれた友人を連れて部屋に来るんだ。
そして友人が呆れたように笑って、それに対して応える。そんな日常が待っている筈。そう思いたかった。

だが、現実は優しくない――


「夢だと思うならそれでも構わない」

そう言ったのは誰か。肯定に似ているがあくまでそれは否定の言葉と頭が理解する。ああ、分かっている。
分かってるけれど認めたくは無い。その言葉に対して果たして自分はなんと答えたのだったか覚えてない。
無意識に傍にあったものを固く握る。激しく動揺はしたが、辛うじてなんとか笑うことは出来た。肩を竦める。


――かくして少女はふしぎな不思議な世界(ワンダーワールド)に迷い込む。


ラピュタ的な展開なんて存在しなかった。

[2013年4月1日 修正]