会場に着くと既に沢山の黒尽くめの厳つい男達が集まっていた。流石マフィアの集会。かなりむさ苦しい。
その中に入っていくことにげんなりして目を背けたくなった。だが、諦めた様に溜息一つ。足を踏み出した。
裏社会に生きる者だとは到底思えないアリスとの容姿に自然と周囲の視線が注がれる。素知らぬ顔。

アリスの様子を窺うと毅然とした態度で崩れる様子はない。ボスとしての風格を感じたのは此処だけの話。
戸惑った様子が見られなくて安心した。少し進むと呼び止められて、足を止めた。とあるマフィアのボスだ。
興味はなかったが集会に誘ったのはこの男。は人受けする愛想笑いを浮かべて呼び掛けに応じた。


「・・・ああ。この度はお誘いありがとう御座います。」

男の視線が一瞬、舐める様にアリスを見た事を見逃さなかった。にこりと笑ってアリスを視界から隠した。
そして最低限の社交辞令を述べる。男の目から見たらおそらくはごく普通の娘にしか見えないだろう。

「いや、来て頂けて光栄だよ」

「落ち着かないかも知れないが、ゆっくりしていってくれ」と、男が食事の並んだテーブルに視線を向けた。
どうやら今日のパーティーはスタンディング・ビュッフェらしい。そこに見慣れた姿を捉えて小さく声を漏らす。
「知り合いでも?」と、問われて濁す様に曖昧に微笑んだ。出来れば知らないフリのままを通したいものだ。

アリスに目を向けると彼女もそう思ったらしい。全力で見慣れた姿のある一帯から顔を背けた。ですよね。
気付かれる前にさっさと退散すべきだろう。世間話もそこそこに名刺を渡し早々にその場を離れようとした。

が、


「これはこれは・・・店長殿が来ているとは思わなかったな」

肩に乗せられた手に嫌な予感はしていた。アリスが一瞬、笑みを引き攣らせたことも相まって尚更だった。
振り返りたくない。だがあまりに聞き慣れた声には暫しの間を置いて息を吐くとゆっくりと振り返った。
案の定、そこに居た人物には今度こそ隠しもせず盛大な溜息を漏らした。「・・・どうも」と、最低限だけ。

「こんばんは、ブラッド」

「貴方も来てたのね」と、に代わりアリスが言った。そりゃマフィアの集まりだから居てもおかしくない。
相変わらず腹の立つ薄い笑みを浮かべて応えるブラッドに気付いたのかエリオットや双子が集まって来る。

「よぉ!アリスとも来てたのか」

と、ニンジン料理を皿一杯に盛ってひょっこりと顔を覗かせたのはエリオット。「いるか?」と、差し出される。
が、それを丁重にお断りして一枚の名刺をブラッドに差し出した。「前回の依頼はお断りやけどね」と、笑う。
「今後ともごひいきに」と、付け足せばブラッドも笑って応えた。前回の依頼に関しては沈黙を通したようだ。

見知らぬ場所で知人が居ることは安心する。帽子屋ファミリーと合流すると自然とアリスに笑顔が増えた。
それが意味するのは先程までアリスが不安だったということだ。こうして目の当たりにすると少しほろ苦い。
募ったものを振り払うように肩を竦めて小さく息を漏らした。不意にウェイターがドリンクを運んできた。
差し出されたカクテルをアリスが受け取り口付けようとする。が、それを阻む様に横からそれに口を付けた。


「ちょっと・・・!」

突然の暴挙にアリスは目を丸くして、しかし、会場内だからか声を潜めながら不満を唱える。笑って応えた。
口内に広がる甘いラズベリーの味に舌鼓を打つ。しかしアリスは笑って済ませてはくれず頭を小突かれた。
そしてウェイターから別のグラスを受け取ると、押し付けてきた。自分の分は自分で受け取れということか。

「・・・りょーかい」

小さく笑って答えるとはグラスを受け取って壁際に移動した。これ以上の挨拶まわりは不要だからだ。
パーティーということもあり場は華やかなものだ。最初は男が目立ったがよく見れば女性もそれなりに居る。
なかなか際どい服を纏ったお姉さんが多いのは少し残念だが。露出が多いより見えない方が燃えるのに。


(アリスは・・・ブラッドと一緒なら安心、か)

アリスを見つけて 安堵する

あわよくばより良い人脈を築こうと必死な人々を尻目に帽子屋ファミリーは流石というべきだろうか自由だ。
双子は元を取ろうとビュッフェに齧りついていて、ブラッドはドレス姿のアリスを放置することなく口説く気だ。
と言っても、アリスはそれを冗談と捉えてまるで真に受けていない。ブラッドも手強い女性に惚れたものだ。

傍観者としてそれを眺めながらは人知れず笑いを噛み殺した。ブラッドが一緒なら心配はないだろう。
今回、がアリスを伴うのを渋ったのは彼女に興味を示す不逞な輩が居ることを知っていたからだった。
だからこそ運ばれてきた飲み物にも警戒がいった。それは杞憂で済んだのだが。普通のカクテルだった。


「・・・アリスが心配か?」

「ブラッドがいんだ。大丈夫だ」と、不意に声を掛けられる。ちらりと視線を向けるとそこにはエリオットの姿。
ショットグラスを片手にの隣に並んだ。「今は心配してへんよ」と、そう言って小さく笑いながら迎える。
役持ちが一緒ならむしろ自分の傍に居るよりも安心だ。グラスを傾け視線を外に向ける。夜風が心地良い。

「・・・こないだはゴメンな」

夜風で熱を冷ましながらそう言葉にする。仕事のことを謝罪するのもおかしな話だが、悪いとは思っている。
「気にすんなよ」と、エリオットは笑って答える。帽子屋は常連でもあるし出来る限り今までは優遇してきた。
今回それを反故にした。「それに、うちのボスはまだ諦めてねぇからな」と、悪戯染みた物言いで返される。

まだ食い下がる気なのかと少し呆れる反面、流石は帽子屋と思わざる得ない。は肩を竦めて笑った。
今回の依頼は周囲がもう少し落ち着いていれば考えた。だが今は時期が悪かったとしか言いようがない。
が謝りたかったのは断り方が乱暴だったこと。まあ先に手を出したのは帽子屋側なのだから相子だ。
「まあ、何回来ても答えは一緒やけどね」と、もエリオットからの布告にフッと笑みを浮かべて答えた。


「あんた・・・もうちょっと肩の力抜いとけよ」

「肝心な時に失敗するぞ」と、流石はマフィアのNo.2というべきか。有益なアドバイスと共に背中をどやした。
が、加減が不十分で危うくグラスを落としそうになった。体制を整え直して文句を言おうと口を開こうとした。

が、


「!!」

視界が一瞬、ぐにゃりと歪む。心臓が大きく鼓動を打った。次いで、走っているかのように鼓動が早く打つ。
息苦しさに目眩すら覚えたが、この場で騒ぎを起こすつもりは毛頭ない。辛うじてグラスを持つ手を支えた。
隣りでエリオットが何か言っている様だが耳鳴りが酷くてよく聞こえない。酔いに似ているが明らかに違う。

「・・・?」

流石に返事がないことを不審に思ったのかエリオットが視線を寄こした。脂汗が滲むのを隠しながら笑う。
「ちょっと抜ける」と、グラスを半ば強引に押し付けて足元がふらつくのを堪えながら会場の外に向かった。

――完全に油断していた。

アリスのグラスが無事だからとそっちに気を取られ過ぎていた。自分のグラスに塗られてるとは思うまい。
どういった用途の物が塗られていたのかは分からない。この身体は薬さえ毒に変えるし、その逆も然りだ。
死にいたる様な代物ではない、と感覚的に悟った。だが、厄介なことに少し長引く性質のものな気がする。

今し方、エリオットにアドバイスという名の忠告を受けたところだというのに情けない。庭園に出て、蹲った。
こちらの都合も顧みず疾走する心拍に圧迫されて胸が苦しい。少しでもそれを和らげようと胸を押さえた。
頬を撫でる夜風は冷たくて心地良い。なのに身体は冷めることなく熱を帯びていく。胸元のボタンを外した。
ジャケットすら負担になっている気がする。が、流石にそれを脱ぐ気力は沸かない。木の幹に寄り掛かる。


(・・・しくじったな)

吐息

何とか気力で会場から少し離れた場所まで来た。アリスはブラッドが傍に居るからおそらく問題ないだろう。
人気の無い場所なんて危険だと言われるかも知れないが、に関しては逆だ。そちらの方がやり易い。
木の凭れたまま小さく深呼吸する。一向に安定してくれない鼓動に一体何を混入されたのやらと自嘲した。


「・・・・・だれ?」

不意に気配を感じて閉じかけていた目を緩々と開ける。気怠さとは裏腹に声は警告に似た鋭さを孕んだ。
動く気力が沸かない。だとすれば対処方法は能力に頼る事になる。能力を使って加減が出来るか怪しい。
加減出来ないほど怖ろしい能力は無い。僅かに漆黒の瞳が金色を帯び始める。これは最終警告に等しい。

「俺だよ」 「・・・エース?」

不意に影から姿を見せたのは赤いコートを着ていない会合服姿のエースだった。どうして此処に居るのか。
エースの出現に目を丸くしながら凝視する。「流石に会場内には入れて貰えなかったんだ」と、彼は言った。

「・・・当たり前やろ」と、溜息混じりに答える。此処を何処だと思っているのだ。城では無くてマフィアの集会。
そんな場所にハートの城の騎士がやって来て入れて貰える筈がない。「今は騎士じゃないぜ?」と言った。
騎士でなければ何だと言うのだろう。「騎士以外になれへんやろ・・・時計塔も無いのに」と、容赦ない皮肉。


「飼いたいって言い出したのはだろ?」

「飼い主に忠実なんだ・・・褒めて欲しいぜ」と、気を損ねるかと思ったがエースは平然とした態度で答えた。
「好きにしろって言って後追っかけて来るような駄犬はべつにいらんから」と、肩を落としながらが言う。
「好きにしろって言ったから付いてきたんだよ」と、堪えた様子もなくエースが笑った。ああ言えばこう言う。

「・・・そのうち解雇されんで」

溜息混じりにがそう言えば、颯爽と笑いながら「ならJabBerWoCkyに本就職だな」などとのたまった。
おそらくこの頭痛はカクテルに混入されていたものの作用ではない。目の前で笑う馬鹿の言動のせいだ。

「にしても・・・君も大概の馬鹿だよなぁ」

馬鹿に馬鹿と言われる筋合い無い。「何を飲まされたんだ?」と、気遣っているのか馬鹿にしているのか。
反論したいのは山々だが、油断していたことは否定できない。唯一の救いはアリスが飲まなかったことだ。
自分が飲んでしまった以上、それが何だったのかは分からない。だが常套手段で言えばそれは毒だろう。

もしも仮にアリスがそれを口にしてしまったとしたら――。

考えるだけでもおぞましい。そんな事態はあり得ない。むしろそれを防ぐために自分が居るのだけれども。
だが異分子が一つ混じっただけで物語はどういう方向性に転ぶかまるで分からない。だからそれが怖い。
騎士が時計塔から弾かれてJabBerWoCkyの番犬をしているなんてまだ可愛いものだ。修正可能の域だ。
だけど、アリスに万が一があれば修正できない。それだけは絶対に回避しなければならない粗筋だった。



その犬、奔放につき

[2013年4月20日 脱稿]