皆、愚かしくも少しずつ・・・少しずつ、ネコに懐柔されていく。そんな連中を見てついに堪忍袋の緒が切れた。
忌わしいネコの名は――と、いうらしい。に視線を向けると勝ち誇った様にこちらを見ていた。
汚らわしいその瞳に胸の奥底に沈殿して溜まったままの濁った感情が燻り出すのを感じた。嗚呼忌々しい。


(この小娘さえ居なければ・・・・・俺の人生は狂わなかった・・・・・)

内心 歯噛みする

それが真実か願望かはさておく。だが少なくとも鮎川が世間一般でいうところの勝ち組だったことは事実だ。
入国管理局の局長として幕府の重鎮に任命されたのは20代前半の頃。若くして抜粋されたエリートだった。
同期で玉の輿昇級を遂げた長谷川すら抑え込んで局長の座に就く事が叶ったのだ。あの頃は輝いていた。
誰かが「くだらない」と、陰で嘲笑う。だがどうでも良い。鮎川にとってはそれが自らの誇りであったのだから。

誰にも穢せない――栄光。

崩れたのは1年前。央国星のハタ皇子が一匹のネコ――を拾わなければそれは変わらない筈だった。
災いの象徴、ネコと称されるそれはごく普通の小汚い小娘だった。結果的にその娘は鮎川に災いを齎した。
ネコを逃した責任を言及され降格。長谷川の下に就くという屈辱を味わされ、馬鹿皇子に振り回される毎日。
たった一度。その一回のミスで鮎川は誇りも栄光も局長の座も婚約間近だった婚約者さえも・・・全て失った。


――すべては悪夢だ。

ネコが逃げだしたあの日から悪夢が終わらない。



「っ・・・ちゃん!!」
「鮎川?!」
「止めぬか!ネコを傷付ける気か!?」

怒号を発して鮎川が銃口をに向けた。まるで狂気染みた表情で、憎悪を隠そうともせずにを睨む。
突然の行動に驚愕したのは当人でなくむしろ周囲の方だった。新八が、長谷川が、ハタ皇子が声をあげた。

「・・・・・」

向けられた銃口に怯むこともなくは鮎川を見据える。向けられる憎悪をまるで気に掛けた様子は無い。
は何も言わなかった。だが目は口ほどに物をいうもの。その目を見れば自然とその心情が汲みとれた。
決して同情ではない。冷めた目。そこに含まれる感情が何であるかは向けられた本人が一番理解している。


(この目・・・この目が気に入らんのだ・・・)

苛立ちが募る

あの頃の食生活を考えれば相当衰弱していた筈だった。それこそ、脱走することが困難であろう程度には。
にも関わらず、ネコは見張りを昏倒させるという荒技で逃亡を図った。当然ながら、ハタ皇子は騒ぎ立てた。
お気に入りのペットの脱走如きで大の大人が何人も駆り出された。武器配備で捕獲を試みる。逃がさない。

否、

捕獲出来て当然だったのだ。たとえ、ネコと持て囃される希少種とはいえ、所詮はただの小娘に過ぎない。
それをどうして逃そうものか。拍子抜けする程簡単に捕獲出来る事はあれど逃げられるなんてあり得ない。
だというのにあろう事か麻酔弾をその身に受けても眠ることなくは逃亡した。逃げ足が早く捕まらない。

――化け物だと思った。


「っ・・・お前がいるから悪夢は終わらない!!」

ガチャリという音と同時にセーフティを外し撃鉄を引き起こす。いつでも発砲が可能な状態に緊迫する空気。
誰もが鮎川の目を見て本気で撃つ気だろうと確信する。正気の沙汰と思えない程の憎悪に囚われていた。

「・・・何それ?いい歳したおっさんが降格された程度で小娘ごときに八つ当たり?えぇ御身分やなぁ」

その瞬間、退くどころか煽る様にがそう吐き捨てた。鮎川が目を細める。その言葉に周囲は驚愕した。
これ以上に無いほど鮎川を挑発してどうする気なのだろうか。いつ引き金を引いても可笑しくないだろうに。
それでも尚、は怯むことなく鮎川に言葉を吐き捨てる。同情ではない。確かな侮蔑を孕んだその言葉。


――鮎川という男は好きじゃない。

否、『すきじゃない』なんて生温い言葉では括れない。『だいきらい』だ。この男だけはどうして気に入らない。
鮎川が最初からの事を気に入らないでいたのは知っている。自分もそうだったから気に留めなかった。

滑稽だと思う。いつかは廃れるだろう栄光如きに縋りつく姿があまりにも滑稽だった。滑稽過ぎて笑えてくる。
悪夢の原因はだと言う。確かに鮎川からすれば悪夢の根源かも知れない。彼の人生は壊れなかった。
という異分子がハタ皇子の元にさえ現れなければきっと鮎川は入国管理局局長のままだった筈。

だが、


「檻で飼われ、首輪を付けられ、人間扱いされない生活・・・・・そんな経験、ないやろ?」

まるで謳う様にさらさらと紡ぎだされる言葉。最後を言い切る瞬間、の声が微かに震えた様な気がした。
なんて事の無い様に笑ってみせるが今は逆にその笑顔が辛い。決して笑って口に出来る内容でないから。

鮎川だけが悪夢に魘されているわけではない。だって短期間とはいえ地獄を味わった。今も魘される。
悲劇のヒロインを気取るつもりは毛頭ない。だけども個を持った人間である以上、感情を持ち合わせている。
あんな生活を強いられたら普通に辛いだろうし苦しく思う。飼われるということが如何に苦痛であったことか。


『捨て猫かい?』

あの日あの場所で、お登勢に出会えていなければきっと心が完全に折れていた。正気でなんて居られない。
そこまで強く在れる程、自分は強い人間ではない。むしろ弱い。弱い人間だということは誰よりも理解してる。
辛うじてバランスを保てた心は歌舞伎町の住人の温かさに触れ少しずつ癒された。居場所を見つけられた。


「・・・私はネコじゃない」

すっと細められた漆黒の双眸が真っ直ぐに鮎川を見据える。そう言い放ったの瞳に鋭利な光が宿った。
真っ直ぐな瞳。これがなのかと思うと少なからず驚いた。飄々として掴みどころのない猫みたいな娘だ。
そんな彼女が見せたその目は飼い慣らされた猫ではない。それは野生の獣を思わせる。冒涜を許さない。


『アンタへの依頼は首輪じゃない。あの子の誇りを取り戻してやって欲しいんだよ』

お登勢の言葉がふと脳裏を掠めた。流石は年の甲。老人の観察眼も馬鹿に出来ないもんだと珍しく思った。
だが取り戻すも何も結局自分で勝手に取り戻してしまった。驚くほどの気位の高さ。これが本来なのか、と。
銃口を向けられても平然としているその姿に感服する。が、その平静の理由は何となく察することが出来た。


(・・・つか、一回だけじゃなかったのかよ)

呆れた様に掌で顔を覆った

この状況からして一回きりでは済まないだろう。最初から果たされるとは微塵も思って無かったが案の定だ。
こうも無鉄砲なところ見ると危なっかしくてハラハラさせられる。「人間(ひと)だ」と言い切ったを鮎川が嘲笑う。


「化け物が人間を名乗ろうとは笑い種だな。貴様風情にこの屈辱はわからんだろう」
「ちょっ・・・あんたさっきから何なんですか?ちゃんは化け物なんかじゃありませんよっ!!」
「小僧、貴様は知るまい。この娘は正真正銘の化け物だ。貴様とてその目で見ただろう?あの能力を」

精神の堤防が決壊した時、人はこうも脆くなるらしい。鮎川はを嘲り笑った。その存在すら認めない、と。
鮎川の暴言に新八が眉を顰めて声を荒げた。他人ならいざ知らず仲間をこうも罵られれば不快でしかない。
だが鮎川の続けたその言葉に一瞬、止まった。「違う」と、否定を仕掛けて思わず言葉に詰まってしまった。


――たしかに、「異質」だと思わなかったわけじゃない。

先程、ペスを癒すそれを目の当たりにした時、驚くのと同時に畏怖を感じた。治癒力なんて普通は持たない。
便利だとは思うがあくまでそれは架空の世界の中の想像の産物でしかない。凄いと思った。格好良い、と。
だけど同時にほんの少しだけおそろしく感じた。自分の持たないそれを持つ彼女の事を、ほんの少しだけ。

大木に叩き付けられた時だってそうだった。どれだけ強くても普通はそんなに直ぐ動くことは出来ない筈だ。
だけどは意識を飛ばしたとはいえその後も平然と動き始めた。ペスに近付いて、ペスに触れようとした。
驚きはあった。だけどもそれだけ。自分と違う、という事実があるだけで、それを「化け物」だとは思わない。


「仮に・・・「こいつがバケモノだってんならアンタは何だ?」」

そんな新八の言葉に小さく息を吐き口を開こうとした。だがそれを遮って銀時が鮎川にそう問い掛けた。
意外だったのかが少しだけ驚いた様に目を丸くして銀時を見た。自分を擁護する言葉を吐くだなんて。

別に化け物だと言われて否定する気はない。望まなくとも能力を得た時点で異質な存在だと理解している。
ペスの治療の為に能力を使った時、新八が驚愕と同時に怯えの感情を抱いたことも本当は気付いていた。
当たり前だ。人成らざる力を持つ者を好き好むような物好きなんて滅多に居ない。普通は関わりたくない筈。

その反応が誰に向けられても当然で、慣れるしかない。仮にそれを差し引いてもは特殊な存在なのだ。
異世界の人間なんて特殊な存在。だけど新八はあっさりそれを受け入れてくれた。否定されて当然なのに。
それでも対等に付き合ってくれる新八にそれ以上を望もうだなんて高望みが過ぎる。だからこそ驚かされた。

どうして――


「ネコだとかバケモノだとか、どうだっていーんだよ。降格されたから何だ?アンタ一度でも足掻いたか?
そっから這いずり上がる努力でもなんでもしたってのか?」

銀時の容赦ない言葉に鮎川は閉口する。特にを庇う為に発したわけではないが、目の前の男は甘い。
面倒臭そうに吐き捨てる言葉はどれも容赦無い。だが的確に事実を突き付けている。だから反論出来ない。

どうして皆こんなに優しいのだろう。実のところ、疎まれても敬遠されても仕方が無い、当前だと思っていた。
それでも構わない、と。拾われて、居場所を与えてくれて、傍にいることを許してくれたことに感謝している。
これ以上はもう望まなくても良い程に充分な扱いを受けた。満ち足りてるのにまだこの人達は与えてくれる。


「・・・足掻いてどうにかなると思っているのか?」

まるで苦虫を噛み潰した様な顔で鮎川が吐き捨てる。銀時を見据える双眸は酷く憎らしそうだ。努力なんて。
それだけで実ったら苦労しない。幕府、官僚というものは元の立場に戻るのは生半可なことではないのだ。
たった一度の失敗(ミス)それで全てを失う博打の様なもの。溝の中を這いずり回る鼠の様に生きねばならない。

「諦めたら終わりなんじゃねーの?幕府の事なんざしらねぇがアンタみたいなのをなんつーかは知ってるよ」

鮎川の反論にほとほとうんざりしたのか銀時は溜息混じりに口を開いた。その言葉が何故か突き刺さった。
しかし、言っていることは決して間違っては無いだろう。確かに鮎川はに八つ当たりしている節がある。
「負け犬」と、一言発する。その言葉を切欠に鮎川の殺気と銃口が今度は銀時に向けられた。血走った目。

「っ貴様に何が分かる!?汚らわしいネコを皇子が拾った。恩を報いることもせずこの娘は逃げたのだ!」

「これを元凶と言わずして何と言う」。怒りは銀時から、そして、やはりへと移った。ネコへの強い怨嗟。
を指差して怒鳴りつける鮎川が酷く滑稽に映った。最初の冷静さなんてものはどこにも存在しなかった。
拾った主に仕える事が正しい選択だったのだろうか。鮎川からしたらそれが一番望ましかったかも知れない。


(・・・でも、)

少しだけ 罪悪感が募る

しかしながらそれは鮎川の都合。その為なら人権が奪われても良いのか、人を人が飼うのは良いのか、と。
名前すらまともに呼ばれず食事もまともに与えられない。ただ籠の中で飼い慣らされていく毎日を甘んじて。
その屈辱に耐え生きていくことが正しい選択なのだろうか。そんな風に心を飼い慣らされたいとは思わない。


「・・・・・冗談じゃない」

今まで鮎川の怨嗟の声に黙って耳を傾けていたがふと呟く。そして不意にどこから出したのか構えた。
の手元で鈍く光る銀色の銃。いつも思うがどこから出したのか?と、不思議に思う程、唐突に出現した。
真っ直ぐに鮎川を見据えるその漆黒の双眸は酷く冷淡。まるで一触即発の雰囲気に誰もが固唾を呑んだ。


「それで俺を撃つか?俺のことを憎んでいるのだろう?」
「憎む?あんたにそんな感情抱くわけないやろ。それともなに、自分のこと言ってんの?」
「銃を向けてそれを否定するのか?」
「別に否定はしてへんやろ。言われんくてもあんたのことは大嫌いやから」

周囲が口を挟む隙も与えずに二人は言葉を交わす。互いに銃口を向け合ったまま淡々と吐き出す言葉達。
異質だと思った。殺気と憎悪、相手を好ましく思わない。双方の間を行き交うのは言葉でなく負の感情もだ。


――だいきらい。

未だ嘗てが誰かの事を苦手と称することはあっても貶す様にこの言葉を使うところを見たことが無い。
今まではそうなる前に器用に感情を誤魔化したり、別の言葉で上手く濁していた。そのが言い切った。
それの意味するところは何であるか。詰まる話、鮎川はの心と誇りを深く傷付けたのだ。あの瞬間に。


「嫌いなやつの為になんで私が手を汚さなアカンの?アホなこと言わんといてくれへんかな」

普段はあまり使おうとしない銃を取り出したという事は、少なからずが感情的になっている証拠だろう。
ゆっくりと息を吸い込むと銃を降ろした。そして静かに吐き捨てる。鮎川を見据えるその瞳は、声は冷たい。

「・・・っ・・・災厄の根源がッ!!」

その言葉に眉を顰めて叫ぶと鮎川が勢いに身を委ねて遂に引き金を引いた。乾いた音が周囲に響き渡る。
予感はあってもまさか本気で撃つとは思うまい。その展開に誰もが目を見張った。おそらくは避け切れない。
できれば外れて欲しい。この先に待つだろう想像したくない最悪の展開に新八は思わず瞑目し顔を背けた。


飼い慣らされることを「いきる」とは言わない

[2012年1月10日 修正]