歌舞伎町――特に、とある一軒屋の月初め。朝はとても喧しい。朝、冷蔵庫を開け牛乳が無い事に気付く。
寝起きで未だ頭はぼんやりしてるし正直外に出たくないが無いと困るのは自身だ。溜息一つ、身仕度。

憂鬱な気分を振り払って、コンビニに買い出しに出かけた。


「あ!おはよ、新八君」 「おはよう、ちゃん」

万事屋に戻る途中で、出勤途中の新八と遭遇した。新八は朝食の入った袋を、はコンビニ袋を片手に。
互いに顔を見合わせて手を振る。年も近く、突っ込み気質な二人は割と気が合うらしい。自然と話が弾んだ。


「んなこたァいいから家賃よこせっつーんだよこの天然パーマネント!!」
「んだコラァお前に天然パーマの苦しみがわかるか!!」

玄関先で言い争う声が響き渡る。階段下に居ると新八にも届くのだから二つの声は相当喧しいだろう。
月初のイベントと言えるが、近所迷惑で正直申し訳ないというか、恥かしい思いに駆られる。溜息が零れた。


「まぁたやってるよ。あのひとら・・・。朝っぱらから元気やなぁ・・・私、朝からあのテンションちょっと無理デス」
「・・・・ちゃんも大変だね」
「んー・・・何かもう既に慣れというか、慣れたくないねんけどなぁ・・・・あ、今月の分ついでやし渡してくる」

視線の先は案の定、見慣れた二人。先に起きておいて良かったと少し思う。アレで目覚めじゃ気分が悪い。
悲しきかな、銀時との共同生活が始まってから随分と経ったため、この光景にもすっかりと慣れてしまった。
同情を孕んだその言葉には肩を竦めて笑った。何と言うか、君もこれに巻き込まれるんだよ。これから。


それに慣れてしまえば問題ない。否、恥かしさはあるけど。家賃くらい滞納しないで払えよ社会人!と、思う。
も一応、本職の万事屋の仕事以外の内職で収入を得てるし、尚且つ居候として世話になっている身だ。
最初は構わないと言っていた銀時だったが甘えるだけは納得がいかず家賃の半分は払わせて貰っている。

つまり、家賃の半分は支払われている。

が、問題は残り半分。お登勢が請求してるのはそれである。確かにが半分を払ったところで無意味だ。
2ヶ月分払っても1ヶ月分にしかなっていない。となると取り立てだってしたくもなる。お登勢の損失は大きい。

それにしても、お登勢と会うのは久し振りかも知れない。最近はバイトやら何やらでなかなか会えなかった。
がこの世界に来て、否、正しくは歌舞伎町にやって来て最初に拾ってくれたのは紛れもないお登勢だ。
その姿を見て自然と頬が緩むのは当たり前の事だろう。家賃を支払うのなんて単なる理由付けでしかない。


「お登勢さ「!!」おわっ?!「ちょっ・・・!?」」

何ということでしょう!お登勢に駆け寄ろうと階段を上ってる最中、お登勢に投げられた銀時が降って来た。
反射的に左手で手すりを掴んでは身を反転させた。銀時はを通過して更に下へと吹っ飛んでいく。

「ぎゃぁああっ!!」

そして、下の踊り場に居た新八が被害者になった。(・・・すまん。新八君)。哀れ。合掌。下が騒々しくなった。
それを知らぬフリを通しては階段の上で手の埃を払うお登勢へと足を進めた。「おや、買い物かい?」。
流石はお登勢というべきかに気付いてそう声を掛ける。はこくりと頷いて徐に茶封筒を取り出した。


「うん。牛乳が切れてたんで、ちょっと・・・それと、今月の家賃の半分です」
「ったく、が稼げて何でアイツが稼げないのかねぇ・・・情けない」

差し出された茶封筒の中身を確認したお登勢が、の頭をくしゃりと掻き撫でながら溜息混じりに言った。
理由はずばり仕事が無いからだ。が、素直にそう答えればお登勢に「家に帰って来な」と言われかねない。
誤魔化す様には肩を竦めて笑いながら「まあ人生いろいろありますから」と、微妙なフォローを入れた。


命は大事に!



新八が万事屋に通うようになって半月が過ぎた。かと言って、何か変わるわけでなく、今まで通りだけども。
料理や掃除に洗濯と、家事に精を出しつつバイトに明け暮れる日々。おいおい本職はどうなったんだ一体。
今はコンビニのレジ打ち、夜は妙と一緒にスナックスマイルでキャバ嬢の仕事を掛け持ちしている状態だ。

時折あっちの仕事にも呼び出されるが、向こうも事情を知っているから気を利かせて中々呼び出しはない。
基本的に万事屋の仕事(本職)が最優先だから、依頼のある時に限ってアルバイトの方を断わらせて貰っている。
なのに最近は依頼が御無沙汰過ぎてアルバイトの方が本職になりそうだ。本当しっかりしてくれよ万事屋。

生活サイクルに追加されたのは暇を見て恒道館で稽古をつけてもらうこと。正しくは銀時の目を盗んで、か。
渋々というか、既に受理した後だから納得せざる得ないのだが、やはりあんまりいい顔はしてくれなかった。
となると、大手を振って出掛けられないところが少しばかり心苦しい。かと言って、曲げる気もさらさら無い。

レジは不器用な新八だが、稽古をつけるとなると勝手は違う。まだ人を教えられる身では無いと本人は言う。
だが幼い頃からずっと剣術を学んできた新八。アドバイスは丁寧でとても分かり易く的確だとは思った。
銀時の場合は的確だが表現が抽象的で丁寧とは言い難かった。ちなみに怖いのは妙が相手の時の稽古。

容赦無い――というか、まるでマウンテンゴリラと戦ってるみたいだ。

とは、死んでも口に出来ないけれど(というか、本当に死んでしまう)、まあなんやかんや楽しく過ごしている。
たかが1年、されど1年。時間の経過と共にこの町にも随分と馴染んだ。そして慣れは油断を呼び招くもの。
そう、気付けばすっかりと忘れていたのだ――自分が、追われている身だったという事。今の今まで綺麗に。


ピンポーン

チャイムが鳴り響く



「銀さん・・・お客さんですよ?」
「ほっとけほっとけ・・・こういう時間帯に来るヤツぁロクな輩じゃねーや」
「銀さんの場合、いっつもロクでもない輩になるんちゃうの?」

チャイムの音に誰一人として立ち上がろうとしない。お茶を啜りながら新八が店の主に一応の伺いを立てる。
その返答はジャンプを読み進めながら面倒臭そうに銀時が言う。それに対しては笑いながら口を挟む。
一向に鳴り止まないチャイムに鬱陶しさを覚える。「おいほっとけよ」と、立ち上がったに銀時が言った。

が、


「・・・そうもいかんやろ。しつこいし、もしかしたら仕事かも知れへんやん」

立ち上がったと言っても、本人もあまり気乗りしないのかかなり気怠さそうだ。『もしかしたら』が強調される。
「あとでジャンプ見せてな」と、言い残して玄関に向かった。扉越しに数人の人影が映った。珍しくも依頼だ。
(厄介そうやなぁ)と、思うがたぶん相手にもこっちの影は映っているだろうから引き返せない。覚悟を決めた。

「はいはい、『万事屋 銀ちゃん』ですけど、ご依頼でしょうか?」

営業用スマイルを貼り付けてドアを開けた。まさか年若い女子が出て来ると思わなかったのか少しざわつく。
最初に視界に映ったのは幕府指定の制服。恐らく、というか間違いなく『馬鹿王子』の件だ。かなり後悔した。
幕府の入国管理局の面々の中には後のマダオこと長谷川泰三の姿もあった。これは間違いなく厄介事だ。

1年という歳月。

どうやらその1年という期間がから警戒心というものを取り除いていたらしい。忘れてたわけではない。
だが油断していた。仮にも追われている身だった己が幕府の人間の前に姿を見せるなんて無防備過ぎた。
いや、でも、ただの依頼かも知れない。だとしたら変に狼狽したら不自然だ。ここは知らぬ存ぜぬが適切だ。


「依頼でしたら中で・・・「なぜ此処にネコがいるっ!?」」

愛想笑いで接待を続けようとしたの言葉を遮り、長谷川の隣に居た亜麻色のボブヘアーの男が言った。
(こないだからキャラ被り多いな)と、思うが男は間違いなくを指差しネコと言った。「えっ・・・?」と、困惑。
をネコだと言い切る亜麻色の髪のボブヘアーのその男には覚えが無かった。会った記憶が無い。

ネコという単語に覚えが無いわけではない。しかしそれは同時に忌々しい記憶も呼び覚ます。気分が悪い。
ふと記憶の一点で意識が止まる。全然印象が違った。だが、確かにあのとき麻酔銃を撃った男と合致した。
無意識に一歩、後ずさる。逃げろと頭の中で警鐘が鳴り響くがそれは逆に不審だ。あくまで此処は万事屋。



『そのネコを捕らえろ!何としてもだ!!』

――忘れたくても、消えない。

あの、屈辱的だった生活が。悪気の有無なんてどうでもいい。ただ、自由を奪われていたことが苦痛だった。
尊厳なんて大層なものに興味なんて無かった。でも今はそんな事言えない。自分も誇りを持った生き物だ。
あの生活を再びなんて耐えられない。屈辱的だ。(・・・嫌だ)総毛立つ。「あれを捕らえろ」と、男の声がした。


「玄関先でグダグダ喚くんじゃねぇっ!!」

男の手がの腕を捕らえようとした瞬間、声と同時に男が吹っ飛んだ。銀時のジャンプキックが決まった。
そして頭から亜麻色の物体も吹き飛んだ。晒されるバーコードハゲ。これにはも物凄く見覚えがあった。

ちゃん!大丈夫!?」 「・・・・え?あっ・・・うん・・・」

新八の声と、辺りの騒然としたざわめきにハッと我に返る。そしてゆっくり顔を上げると心配そうな新八の顔。
驚きと動揺あまって普段は見せない間抜けな表情を晒してしまった。新八の横には割って入った銀時の姿。
視線の先に男が居ないことにホッとする。振り返った銀時が死んだ魚の目をしての頭に手を乗っけた。
その大きな掌の感覚に、そこから感じる微々たる温もりに柄にも無く安心した。「ありがとう」と、力無く笑う。

「貴様が万事屋だな。我々と一緒に来てもらおう」 「ついでにそれもこちらに引き渡してもらおうか」

巻き添えを食らって吹き飛んだ長谷川がグラサンを掛け直しながら言った。そして、男の方も言葉を繋げる。
しぶとくずれた鬘を直しながら。(今更直しても遅いと思う)。周囲では部下が銃を向け睨みを利かせていた。


「・・・わな。しらねー人にはついていくなって母ちゃんには言われてんだ」
幕府(おかみ)の言うことには逆らうなとも教わらなかったか?」
「テメーら幕府の・・・?」
「入国管理局の者だ。アンタに仕事の依頼に来た・・・万事屋さん」

銃を向けられているにも関わらず、平然と言葉を返す銀時。肝っ玉が大きいというか考えなしというべきか。
だが幕府という言葉にほんの少し目の色が変わった。そして相手の反応を伺うように長谷川に目を向けた。
バーコードハゲの男とは目的が違うのか長谷川はに興味を示すことなくどこぞの悪役の様に言い放つ。


「!!」

不意に強引に腕を引っ張られた。振り払おうとするが完全に油断していた上に捻られては対処し切れない。
状況は劣勢。流石に男女の力の差では勝てる筈もない。「ちゃんっ!!」と、新八が堪らず声を上げた。
が、周囲から銃を向けられている為、身動きが取れない。まるで物を扱う様な力加減に思わず顔を顰める。


「貴様はこっちだ。まったく・・・これだからネコは可愛げがない皇子からいただいた首輪まで失くしやがって」
「・・・無抵抗の民間人に銃を向けるような非常識な連中に言われたくないねんけど?」
「はっ!随分と生意気な口を利くようになったものだな。ネコ風情が」

の首元を一瞥したバーコードハゲの男が忌々しそうに吐き捨てる。まるで凍て付いた氷のような視線。
その目に怯むことなくは小馬鹿にしたように鼻で笑って言葉を返した。それに対して男もせせら嗤った。
バーコードハゲの男を見据えるの目は酷く冷たかった。新八はそんな()を今まで見たことが無い。

彼女はいつだって笑っていたし、誰に対しても優しく嫌な客が来ても笑ってあしらってしまうような、そんな子。
こんな風な目を誰かに向けるところなんて見たこと無い。否、相変わらず笑っては居るけれどもやはり違う。
それは侮蔑とも取れるし間違っても好意ある様には見えない。どちらかいうと嫌悪と言った方がしっくりくる。



「あそこで皇子に拾っていただけただけでも感謝したらどうだ?貴様のような異形を「だまれ」」

の余裕さえ感じさせる態度が気に食わなかったのか、更に腕に力を加えて引き寄せると耳元で囁いた。
だが全てを言い切るよりも先に放たれた一言がバーコードハゲの男の言葉を遮る。場の空気が張り詰める。

頬を掠めるぴりぴりした空気が突き刺さる。殺気かと思ったが微妙に違う。は男を殺そうと思ってない。
だとして、何とも思ってないわけではないだろう。怒った表情はしてない。だがいつものように笑ってもない。
男の言葉に対して明らかに不快感を抱いてるのは明白だった。彼女には珍しく強い命令口調に耳を疑った。

――新八は、こんなを知らない。


「オイオイ・・・仕事なら早くしてくんない?何?ウチの相方に手ェ出すんがあんたら流の挨拶か?」

ギスギスした空気をぶち壊す様に銀時が言い放つ。まるで空気を読まないその発言に周囲は目を剥いた。
だが銀時はまるで気にした様子もなく「お前も安い挑発に乗るんじゃないよ」と、呆れたようにを窘める。
その言葉に不本意そうな表情を一瞬浮かべただったが諦めたように息を漏らした。空気が少し和らぐ。

「・・・おい、鮎川(あいかわ)。やめろ」

男は鮎川と言うらしい。我に返った長谷川がバーコードハゲの男改め鮎川にを放す様に命令を下した。
が、それに対して鮎川は不満そうに眉を顰め長谷川に目を向ける。確かに元担当者としては放置できない。
だがここで従わねば今度は万事屋が動いてくれないだろう。有無を言わせずに長谷川が再び口を開いた。


猫だって牙を剥くさ

[2012年1月10日 修正]