ゴーランドと別れてから今度は迷うことなく目的地に着いた。バザールは活気があって見ていて楽しくなる。
そこかしこで客寄せの声が聞こえる。時折、明らかに堅気でない感じの人が混じっているのは気にしない。

・・・気にしたら負けだと思う。

広いバザールの中でが目的としているのは八百屋と香辛料の店。それから肉屋。カレーの材料探し。
問題はカレーライスを作るのに、この国に果たして米という文化があるのかどうか。確認すれば良かった。
まあ後悔しても仕方がないから取り敢えず物色してみようという結論に落ち着いたのだが。そして一軒目。


「いや、あの・・・私が欲しいのは香辛料なので・・・・・」

これはどうかと丁寧に品を薦めてくれる店主さんに愛想笑いで断りを入れる。が欲しいのは香辛料だ。
決して怪しい類の薬では無い。道行く人に「香辛料が欲しいんですが」と、尋ねたところ教えて貰ったけど。
多分スパイス違いだと思う。欲しいのは料理用であって危険な香りのするスパイスが欲しいわけではない。

しかもこの店主、人の話を全く聞いてくれない。あまつさえ段々とヒートアップしてきて若干かなり鬱陶しい。
愛想笑いでどうにか振り切ろうとするがこの店員はしつこい。少しだけ笑顔が引き攣りかけたのを堪えた。
「いや、だから・・・」「これもなかなかの逸品でしてね」「いや、だか「そうそう、これも・・・」」。話が終わらない。


(いい加減にしろよ・・・このやろう)

思うだけなら タダだ

とは言え、ただでさえ迷って時間を食っているのにこれ以上、時間を割きたくない。店内をちらりと見回す。
ドアベルが鳴った。目を向けると帽子を被った緑色のコートが印象的な一般男子と比べて小柄な男の子。
男の子という表現よりも女の子という方が似合いそうな顔立ちをしている。「いらっしゃいませ」。店主の声。


「・・・・・耳?」

思わず二度見してしまった。可愛い顔に気を取られていたが、帽子の横から顔を覗かせるそれは獣耳だ。
それを見て(あ、熊の耳可愛いなぁ・・・)と、思ってしまう。が、よく考えろ。目の前に居るのは少年。人間だ。
普通に考えて人間に獣耳が生えてるのはおかしいだろう。そういう趣向ならありかも知れな・・いや無しだ。

「こんなところに女の子なんて珍しいね」

店主と言葉を交わしていた少年が不意にに目を向けて首を傾げた。「きみも買い物?」と、問われる。
買い物は買い物だが、別に危ないスパイスを買いに来たわけじゃない。とは、店主の手前、言えなかった。

が、店主が「彼女初心者みたいで色々と教えているんですがどうも鈍くて」と、言った時には殴りたくなった。
買いたくもない品を半ば強引に薦められてたら反応だって鈍くなるだろう。むしろそんな知識知りたくない。
少年の言葉にどう返すか悩んだが買い物というのは間違いではない。小さく頷くと、店主が目を輝かせた。


「カレー作りたいだけなんですけど・・・」

ぽつり呟く。きっとこの声は届かない。少なくとも大量のスパイスの袋が詰まった箱を持って来た店主には。
げんなりとした表情を浮かべるをよそにいつの間に近付いたのか、少年が「カレー?」と、首を傾げる。
こくこくと頷くと「それならね・・・」と、少年が色々と教えてくれた。聞きたくもない毒薬についてのあれこれを。

作りたいのは普通のカレーライスだ。断じてカレーライスをベースにした毒殺の仕方では無い。断じてない。
『眠りネズミ様』と呼ばれた彼は毒の知識に富んでいる。それはよく分かったから目を輝かせないで欲しい。
嬉々として怖ろしい事を語るのは止めて欲しい。別に自白剤は必要ないし吐かせたいことだって特に無い。
無いと言えば嘘になる。でも今聞くべきではない事だし、聞く必要もない。ゲームの進め方は知りたいけど。


(・・・あきらかに何か隠されてるもんなぁ)

内心 吐息

それは単なる直感に過ぎない。ただ、無償で優しさを向けられる度に疑惑が強くなっていくのが分かった。
何を隠されているのか知る術はない。だが、それがあるからこそは彼らとの距離を縮めあぐねていた。
下手を打てば平穏を保たれた現状が崩れるかも知れない。疑惑解消だけの為に伴うリスクが大き過ぎる。

知る気が無いのなら目を背けるしかない。ただそれがゲーム攻略の妨げになっている可能性も否めない。
どちらを選ぶことが正しいことなのか。それを考える度には答えに迷う。どちらを選んでも変わらない。
それならば選ばなくても良い。必要に迫られるまではと割り切る事を選んだ。延命処置に過ぎないけれど。
そうでもしなければやってられない。常に真実と向き合おうとすると疲れるだけ。そんなに真面目じゃない。



「ところで・・・きみは余所者?」

ふと思い出したかのように眠りネズミがそんな質問を投げ掛けて来た。「・・・余所者?」という、店長の呟き。
心臓が小さく鳴った。眠りネズミに余所者だと言い当てられたこと、第三者にそれを知られたことに焦った。
焦る必要なんてどこにもない。それは理解していたが心臓が早鐘を打った。眠りネズミの言葉に頷けない。

「・・・・・」

サンプルにと押し付けられていたスパイスの袋を半ば強引に店長に押し付ける。驚いた風な店長の反応。
それに気遣う間もなくは無意識に身体を動かしていた。「ぴっ!?ま、待って!」と、後ろで声がする。
声に足を止めることはせずに店を出た。後ろから眠りネズミの気配を感じたから余計に走る速度を上げた。




――逃げる必要なんてどこにも無かった。


が余所者というのは隠しようの無い事実であり、役持ちなら分かる者も居るとゴーランドが言っていた。
だから、眠りネズミが見抜いたのも驚くことではない。眠りネズミが気付ける側の役持ちだっただけの話だ。
店長の呟きを耳にした時、息が詰まった。色んな心情が一気に脳裏を駆け巡りその場から逃げたくなった。

薄暗い路地を抜けてメインストリートに出た。バザールの雑踏に紛れ込んで少しだけ歩調を緩める。溜息。
くだらない。まだ引き摺っていたことにげんなりする。あの声に、迫害されるのではないかと恐怖を抱いた。
頭ではちゃんと理解している。眠りネズミの質問は単なる確認だ。そして店長の呟きは純粋な驚きだ、と。
それでも過剰なまでに反応してしまった。好奇だけならまだ良い。怖いのはそれが最終的にどこに転ぶか。


「・・・・・」

ぼんやりと歩き続ける。褪せる事無く今も残る記憶に不快感が込み上がる。誰でもいいから助けて欲しい。
何から、と、聞かれたら困る。今はもう怖れるものは無い。扉を閉ざしてしまうことでまもれると学んだから。
それでも消えてくれない不安感が憎らしく思えた。それを与えた者達のことも。胸の奥で黒い何かが燻る。


『あんたみたいな子、本気で   と思うわけないじゃん』


――嘲笑うように声が聞こえる。

今も褪せずに残る。忘れてしまえば楽になれる。忘れたいと願った筈なのに。蠢くモノと共に蘇える記憶。
気付けば足を止めていた。深く息を吸い込んでどうにかやり過ごそうとする。もう過ぎ去った出来事なのだ。
あのとき自らを苛んだあの感情はもう此処には無い。その境地に至らせたものだって、もう存在はしない。


(・・・だいじょうぶ)

まだ 大丈夫

恐怖で思い出した数多の感情を鎮めようと言い聞かせる。大丈夫。ほんの少し驚いてしまっただけだから。
此処に傷付けるものはまだない。だいじょうぶ。大丈夫。「おねえさんどうしたの?」。不意に掛かった声。
その声にびくりと肩が揺れた。そしてゆっくりと顔を上げるとそこには顔がはっきり見えない小さな女の子。


「・・・大丈夫だよ」

「ありがとう」と、肩を竦めて小さく笑った。女の子の隣には手を繋いでいることから妹だと推測される幼女。
こちらもはっきりと顔が見えない。姉の手を離れての傍に近付いて来る。「あ、こらっ!」と、少女の声。
突然の衝撃に目を剥いたが小さな体だ。何とか受け止めることができた。抱き付かれたのだと気付いた。

「ほんと〜?」と、無邪気に首を傾げる姿に言葉に詰まった。返答に悩むの頭に幼女が手を伸ばした。
「おなかいたいの?いたいのいたいのとんでけー!」と、背伸びして一生懸命伸ばされた手が頭を撫でた。
小さな掌の感覚には目を丸くする。もしや小さな子に心配されるくらいに酷い顔をしていたのだろうか。
「こら、駄目よ」と、幼女の行為を窘めるように女性の声が響く。そこには物腰穏やかな婦人が佇んでいた。


「ごめんなさいね、娘が失礼をしてしまって」

そう言った婦人には顔がある。彼女も役持ちなのだろうかと、口に仕掛けて思い留まった。唐突過ぎる、と。
仮に彼女が役持ちとすればクローバーの塔に戻ってから聞けば良い話だ。答えてくれるか知らないけど。
婦人の言葉には緩々と首を横に振ってはにかむように笑った。心配されて流石に不快だと思わない。

「・・・いえ。むしろ、わざわざ気に掛けてくださってありがとうございます」

「ありがとね」と、幼女に笑い掛ける。母親に咎められしょんぼりとしていた幼女の顔がパッと明るくなった。
無邪気な反応にの表情も自然と綻ぶ。こんな無邪気な時期が自分にもあったのかとぼんやりと思う。
薄らと過った過去の自分の姿にまたじんわりと苦い想いが過る。それを振り払うように親子に目を向けた。

婦人の押している乳母車には赤子が一人。どうやら三姉妹らしい。「女の子ですか?」と、何気なく尋ねた。
「ええ、そうなの。女の子ばっかりなのよ」と、婦人が冗談めかして微笑む。その姿もどこか上品に見えた。
思いの外に話が弾み互いに名乗る事に。婦人の名前はイントラーダといい、街角の雑貨屋の店主だとか。
最終的にはまた遊びに行く事を約束して別れた。彼女の明るさは元の世界の姉に似ていて懐き易かった。


(・・・・・みんなどうしてるかなぁ)

はっきりと 浮かばない

両親も、姉も、怜も。元の世界のものは何一つとしてはっきり浮かばない。存在だけは確かにそこにある。
だというのにそれはぼんやりとして形を成すことはない。それが切ない。掴めないものほど欲しくなるもの。
元の世界に居た頃はそこまで強く欲したことは無かった。子供みたいだと思う。だけど今はそれが恋しい。


ドンッ...


「あ、すみませ・・・」

ぼんやりと歩いていたのがいけなかったのか、道行く人とぶつかった。謝罪の言葉を紡ごうとして切れる。
手をポケットに戻す瞬間にはっきり見えた。見覚えのある財布。というか、アレは間違いなくのものだ。

「ちっ・・・!」

が小さく漏らした呟きが聞こえたのだろう。盗ったのを気付かれた事に男が小さく舌打ちして走り出す。
「っ・・・待って!」と、反射的に声をあげたがそれで止まるなら最初から盗んだりしないだろう。止まらない。
それに対して舌打ちするのはの方だ。声をあげるよりも自分で動いた方が絶対に早いだろうと思った。

人波を掻き分けて疾走する少女の姿は異質だ。が、この世界の住人は基本的に厄介事には関わらない。
それを見て見ぬフリする住人を尻目には完全に目の前の男を標的として捉えていた。逃がすものか。
途中で誰かに声を掛けられた様な気もしたが足を止める余裕はない。今を逃せば財布は二度と戻らない。

――財布が無ければ夕飯が買えない。

御使いさえまともに出来ないような厄介者なんて思われたくない。役には立たないがそれぐらい果たせる。
単に嫌われたくないだけに過ぎないのかも知れない。赤の他人に、嫌われたくないなんて。馬鹿げている。
否、違う。今はクローバーの塔で、共同生活している。暮らし易さを求めるなら悪印象は持たれたくはない。


(べつに・・・嫌われたくないわけじゃない)

嫌われても 構わない

嫌われ者であることには慣れている。ただ少し、暮らし難くなるだけ。それを補完するのが面倒なだけだ。
良くも悪くも目立たないで居たい。言われたことをそつなくこなせば悪印象はない。良くもないだろうけど。

でも――そう在ることが一番賢い。



「・・・っ・・・はぁ・・・」

流石に息が上がる。市街から離れた森にまで逃げ込まれるとは。まるで誂えた状況に笑いそうになった。
男も相当な距離を走ったせいか息が荒い。「・・・かえして・・・くれ・・・ませんか・・・」と、途切れ途切れの言葉。
あまり格好が付かない話なのだけれど流石に随分な距離を全力疾走したのだからこの疲労は仕方ない。

人気の無い場所で男がゆっくりと振り返る。まるでドラマにでもありそうな展開だと頭の中で冷静に考える。
我ながら馬鹿だと思った。スリに遭って犯人を自分で追いかける馬鹿がどこにいるのか。あ、此処に居た。
だがこっちにだって事情がある。財布は渡せない。男が顎で合図を送る。周囲に気配が増えた気がする。
子供を相手になんて大人げない。そう思ったが、足を掴まれたら捕まる可能性が高くなるからなのだろう。


「嬢ちゃんちょっとおイタが過ぎたんじゃねーか?」

典型的な悪人台詞に噴き出しそうになる。のを必死に堪えて男に目を向けた。無言を恐怖と思ったらしい。
愉快そうに男が笑い、その声に周囲が反応する。「大胆だと思ったら怖いんじゃないか」と、嘲って笑う声。

「おいおい、こんないたいけな子をキズものにすんのか?」

と、仲間であろう男が主犯の男に言う。この場合のキズものとはどちらを指すのか。場にそぐわない思考。
一方であれば抵抗しなければいけないが、もう一方であれば、それも抵抗は必須だが連中がロリコンだ。
これは本気で拙いかも知れないとそれを握る手に力が篭る。やるなら主犯の男でやったら即座に脱兎だ。

もちろん絶対に捕まってはいけない。最悪の場合を考えるなら捕まったら間違いなく命の危険が伴ってくる。
多少の怪我ならあまりしたくないが何とかなる。だけど命を失ってしまえばそれでお終いだ。いただけない。
こんな辺鄙な場所では助けも期待出来ないだろう。短慮が結果的に男の思うつぼになったと思うと悔しい。

が、


「・・・・・」

必死で恐怖を堪えて強がる少女を演じる。実際に拙いと思う気持ちはあるが連中に対する恐怖心は無い。
あるのは他人の物を奪い平然としている彼らというくだらない人間に対する呆れだけだ。男が一歩近付く。

「怖くて声も出ない?」

の顎に触れて持ち上げる。そう言った男の顔はこちらを品定めしているようで、その視線が不愉快だ。
(・・・このxxxxxx野郎)と、顔にそぐわない暴言を心中で吐き捨てる。もう一方の手がするりと身体を撫でる。
ぞわりとした感覚に身体が震えた。気持ち悪い。周囲の男が「怖がらせるなよ」「可哀相だろ」と、野次る。

我慢の限界。それが腰を撫でようとした瞬間に反射的に身体が動いた。油断されていたのが功を奏した。
予定を変更して男の股間を蹴り上げる。嫌な感触に僅かに顔を顰めるが暢気に構えていられないだろう。
急所を押さえ下がった男の頭に鞄を叩き付け振り返り様に取り押さえようとした一人の顔面にそれを噴射。
悲鳴を上げて目を押さえる男の姿にほんの少しだけ同情した。目に制汗剤を噴射されるのはかなりキツイ。


「っ・・・待ちやがれこのガキ!」

先程まで弱者を嬲るような口調が途端に余裕を失った。抵抗されるとは露程にも思わなかったからだろう。
ざまあみろと思ったが自分にとっても良い状況とは言えない。此処から脱出しない限り危機は脱してない。
財布は取り戻したが、今は鬼の形相で迫る連中から逃げなければ。いつもより身体が軽い様な気がした。

「・・・待てといわれても」

待つ馬鹿がどこに居る。呟きながらひょいひょいと連中の手を回避する。更には隙を見て抵抗も忘れない。
制汗剤というのは武器に成り得るのだと身を持って学んだ。しかも下手な武器より余程役に立つのだ、と。
それから辞書の入った鞄も鈍器だ。勢い余って横っ面を殴ったら吹っ飛んだことには流石に驚いたものだ。

だからって調子に乗ったのがいけなかった。まさか足元の木の根に躓くと思わないだろう。盛大にこけた。
咄嗟に体制を直そうとするが、それよりも先に髪を乱暴に掴まれる。「痛っ」。その拍子に制汗剤が落ちる。
抵抗するべきだが相手も警戒している以上は虚を突くのは不可能。一気に劣勢になって少し焦りが募る。
起死回生の手段が無いわけではない。ただそれは一人にしか効かずとしても躊躇いを感じてしまう。

だが、

現状は最悪だ。このまま抵抗してもしなくても嬲られることは目に見えている。好んで痛い目は見たくない。
「・・・聞いてんのか!ガキっ」と、余程、制汗剤が効いたのか男の怒号が響く。もともと不快な声が割増だ。
せめて掴む手をもう少し緩めろと言いたい。毛が抜けたらどうしてくれる。そう思ったら何だか苛々してきた。


(・・・抵抗して、いいかな)

罪悪感が 薄まる

だって、最初に仕掛けて来たのは相手側だ。確かに自分も危機感が薄かったのは否定しない。それでも。
これ以上、傷付けられる前に先手を打っても許される筈だ。既に現状を考えれば正当防衛だって成り立つ。
護身用に持ち歩いていたのはペンダントナイフ。それを首に掛ける気になれなくてポケットに仕舞っていた。
使ったことは一度も無い。そして、きっとこれからも使わなくて済むだろうと思ってた。そう思っていたのに。


(なんか・・・イラついてきた)

無性に

こんなくだらないことのためにどうして、自分が気を揉まなくてはいけないのだろう。そう思うと腹立たしい。
「生意気な目しやがって」と、詰る。が、次の瞬間に男の顔が苦痛に歪んだ。その反応に周囲がざわつく。
驚いたのはも同じだ。まだ何も行動に移していないのに。どうして目の前の男が顔を歪めているのか。
現状が理解できずに呆然とする。が、男の手が離れたことで少しだけ自由に動けるようになり距離を取る。



いきるためなら抗うことも辞さない。

[2013年8月3日 脱稿]