乾いた音が響き渡った。同時に紫煙が宙を舞う。肩を貫いた熱と遅れて走った激痛に思わず顔を顰めた。
アリスは肩を押さえ、驚愕の目を向けた。視線を辿れば先には寸分の狂いもなく銃口を向ける同胞の姿。
否、正しくは元だ。クルクルと好き勝手に跳ねた白銀色の髪。アリスが『レイシー』であった頃、相棒だった。
互いに背中を合わせて共闘することはあっても、敵対することはあり得ないだろうだと信じて止まなかった。

フッと『メリー』は口角を持ち上げて笑った。「アリス!」と、すぐ傍でエリオットが呼び掛ける声が聞こえた。
しかし、アリスはそれに応えることが出来なかった。アリスの視線の先には微笑を浮かべた『メリー』の姿。
彼女が狙っているのは紛れもなくアリス。その事実に呆然とするしかなかった。彼女が自分を狙っている。


(・・・・逃げられない)

漠然と思った

少なくとも『レイシー』を追っているのが『メリー』である限り、逃げられる気はしなかった。彼女は始末屋だ。
ファミリーの有益にならない存在を、裏切り者を、闇へ葬り去る。裏社会におけるその役は暗殺者と同義。
信じ難いが、彼女が追跡者だということは、つまりそういうことなのだろう。『レイシー』は見限られたのだ。

不要な存在だと認識された。帽子屋の手に落ちる前に始末すべきと判断されたのだ。消されるだけの身。
だが、アリスとてここで死ぬわけにはいかない。ポケットの内側に仕込んだ小型の銃にそっと手を掛けた。
こんなもの絶対に触りたく無かった。だからアリスは構成員の中でも諜報員として働くことを選択したのだ。
選べるように助力してくれたのはだった。互いの苦手な部分を補えるだけ、理解し合えていたと思う。

だからこそ、

今、こうして目の前に居るのが彼女と言うことが信じ難かった。否、ある意味、合点がいったかもしれない。
だってが『メリー』だから。この道を選んだ時から互いに分かっていた筈だ。決して、幸せになれない。
与えられた役からは逃れられないのだ、と。それならせめてどれだけ惨めでも生にしがみついてやろう、と。
そう、あのとき、誓い合った。半ば強制的に誓わされたマフィアの誓いなんかとは違う。友と交わした誓い。


「・・・追手が来るなら貴女だと思っていたわ」

「メリー」。痛みは止まない。それでも虚勢のように笑みを貼り付けてアリスは言った。額に脂汗が滲んだ。
そして庇う様に立ちはだかったエリオットに「・・・大丈夫よ」と、告げる。虚勢だとしても全然大丈夫じゃない。
見て取れたのかエリオットは何が大丈夫なんだと言わんばかりの視線を寄こす。思わず苦笑が浮かんだ。

『メリー』と『レイシー』では役が違うのだからそもそも能力値が違う。どう見積もっても勝てる相手ではない。
むしろそれで勝てる相手ならそもそもアリスは彼女を相棒に選ばなかっただろう。銃にかけた手が汗ばむ。
おそらく銃を抜くよりも先に撃たれてやられるのが関の山。のその実力は一番理解しているつもりだ。

それにいくら帽子屋ファミリーのNo.2たるエリオット=マーチが居たとしても、勝てる気がまるでしなかった。
否、二人なら勝てるかも知れないが、それを選ばなかったのは、これ以上、巻き込みたく無かったからだ。
任務として訪れた筈の帽子屋ファミリーの屋敷だったが、そこの住人達にこんなにも愛着を覚えるなんて。

――敵対すべき相手にここまで入れ込んでしまうとは。

その結果が始末されようとしている現在(いま)だとしたら、正直、あまりにも滑稽でわらってしまう。愚かし過ぎる。


ちらりと横目でエリオットに視線を向けた。長いうさぎ耳を持ちながら自分は犬だと疑って止まないNo,2だ。
最初はずっと、アリスのことを警戒していた。他所者だと知っても尚、『諜報員じゃないのか』、と。疑った。
ある種、彼の野生の勘は正しかった。墓守領の諜報員ではないがマフィアの構成員であることは事実だ。
ただ一つ違ったのは、アリスが彼等が微塵の興味も向けない、役無しファミリーの構成員だったということ。

そしてここにいない彼を想う。諜報員と知っていながらアリスを屋敷に招き入れた帽子屋ファミリーのボス。
ブラッド=デュプレ。己の知的好奇心を満たすものに興味を抱く彼は当然ながら『余所者』に興味を持った。
アリスを招き入れた後も監視するわけでもなく自由にさせた。そして自身に近付いていくのも厭わなかった。
『レイシー』は色を使って情報を抜き取るのが仕事。大きな博打だったが、帽子屋に近付くことに成功した。


(思えば、あの頃から・・・掌の上だったのかも知れないわね)

最初から ずっと

落とすつもりが、気付けば落とされていた。愛なんて愚かなものに惑わされたりしないと決めていたのに。
相手がブラッド=デュプレならなおさらだった。彼を通して見えるのは忌々しい記憶ばかり。疎ましかった。
早く終わらせてしまいたかった。だから平気で褥で偽りの愛を囁く真似だってした。さっさと仕事を終えて。

――見なくて済むように。

だが相手も規模を広げつつあるマフィアのボスだ。そう容易く落ちてくれる筈もなかった。長期に渡る戦い。
それが悪かった。少しずつ浸食されていく感覚に幾度となく戦慄した。ブラッドは『レイシー』を蝕んでいく。
アリスとして帽子屋屋敷で過ごす日々が愛おしく思える様になっていた。もっと、と。望んでしまったのだ。



「・・・・・残念だよ。レイシー」

「きみがファミリーを裏切るとは思わなかった」と、『メリー』はこの場で初めて口を開いた。照準はぶれない。
何を思って彼女はこの場でその名前を出したのだろうか?アリスは動揺をひた隠しながらエリオットを見た。

「レイシー?」

訝しげな表情を浮かべるエリオットに身体が強張る。この場には彼と『メリー』。そして、アリスしか居ない。
先程アリスは彼女を『メリー』と呼んだ。エリオットはあり得ない。だとすればとうぜん残るのは一人だけだ。
アメジストの双眸がアリスを見て僅かに揺れたのを見て、今度こそ終わった、とアリスは思った。隠せない。

「・・・私のことよ。LacieはAliceのアナグラム」

せめて嘘を明かすなら自分の口で語ろう。どうしてもアメジストの瞳を見つめられなくて自然と目を伏せる。
どうせここで死ぬなら明かしても構わない。途中から本当に親身になってくれたエリオットには悪いと思う。
アリスに心を砕いてくれた優しい人。そんな人達を裏切ったのだ。だって『レイシー』は諜報員なのだから。

だから、


(ごめんなさい・・・とは、言わないわ)

それが 役だったのだから

終わりが欲しかった。別にその先に光なんて望んでいなかったし、ただ、終わりが欲しかっただけなのだ。
それだけを求めて役を演じてきた。『余所者』と『レイシー』。そして偽るたびに『アリス』が少しずつ薄れる。
そのことにどこか安堵する自分がいた。だけどいつも『アリス』を明確にするのは彼だ。消させてくれない。

いつだって、ギリギリのところで引き留めてしまう。


「さて、ネタばらしも終わったところで・・・・・こちらも仕事を終えさせてもらおうか」

「たとえ役立たずでも幾らかの情報は持っている」と、紡ぐ。それらを漏洩されては困る、ということだろう。
『役立たず』という単語に微かにエリオットの耳が動いた。刹那、先程よりも格段に重い銃声が鳴り響いた。

「っ・・・エリオット!」

予想外の出来事にアリスは驚愕に目を剥いて声をあげた。どうして彼が発砲するのか、理由が無いのに。
引き金を引いたのは『メリー』ではなくエリオットだった。こちらも名手。寸分の狂いもなく『メリー』を狙った。
だが、紫煙が晴れた先に『メリー』の姿はなかった。エリオットは鋭く舌打ちし「下がれ、アリス」と、告げた。

「あんたが墓守んトコじゃねぇ、他所のマフィアの構成員だってことはとっくの昔に分かってんだよ」

「でも・・・ブラッドが認めた」。姿の見えない敵に周囲に気を配りながらエリオットはアリスへそう言い放った。
その言葉にアリスはさらに驚愕する。最初から彼等は分かっていたのだ。分かっていながら傍に置いてた。

「どうし「それにアリス・・・あんた、もう帽子屋の一員だろうが」」

どうして護るのか、と口にしかけたアリスを遮り、エリオットが言葉を重ねる。『仲間』だと、彼は言い切った。
完全に任務遂行に集中したのだろう。『メリー』が煙幕を用い視界を奪いだした。エリオットの耳が揺れる。
視界が煙ではっきりしない今、それだけがアリスにとって目印だった。「無事か!?」と、安否を問われる。

「無事よ」

どこか必死なその声にアリスも位置を知らせる様に声を出す。凛とした声。だがそれに反して泣きそうだ。
柄にもなく動揺していた。仲間だと言われて、心配されていること。ずっと騙してたのに咎めようともしない。
いろんな感情が入り混じって、口にしたのは「お願い、だから・・・エリオットも無理しないで」という言葉だけ。
その言葉にエリオットは沈黙する。そして不意に「・・・これはここに居ねぇブラッドからの伝言だ」と、言った。

「『今日、このときを境にレイシーという名を棄てろ そして 誓え』」

帽子屋ファミリーに入る、と。丁寧にブラッドの口調まで真似てエリオットが言い放つ。心臓が大きく鳴った。
何か答えなければいけない。だけど言葉が出てこない。ぐるぐると感情だけが渦巻いて思考が定まらない。
不意にどこかでフッと笑う気配がした。それはすぐ後ろ。「っ・・・アリス!!」。エリオットの焦った声がする。



『            』

の声


時間が――止まった気が、した。



直ぐ傍らで交わされている筈のやり取りがどこか遠くに聞こえる。私は地面に倒れているのだと気付いた。
エリオットが怒鳴りつけている。合間に聞こえる銃声の中に『メリー』の苦悶の声がしないことに安堵した。
おかしいわよね、自分を刺した相手の安否を気遣うだなんて。でもね違うの。あの子だけは特別なのよ。

こんな血塗れた世界で生き抜くのに、一人では絶対に無理だった。一人じゃなくてが一緒だったから。
だからね本当は刺されても仕方ないと思ってる。だって最初に裏切ったのはじゃなくて私の方だから。
私だけが幸せになってこの世界にあの子を置き去りにするなんて酷い話だと思うのよ。だから、仕方ない。
だけどね、欲を言えば私も―――アリスに戻りたかったの。ただの、アリス=リデルに、戻りたかったのよ。

さあ、目を閉じて少しだけ眠りましょう。次に目が覚めた時はきっと、望んでいた世界が手に入る筈だから。
温かい居場所が私を迎えてくれる。ねえ、ブラッド。私、レイシーの名前をちゃんと棄てたわよ?だからね。
次に会ったらちゃんとやり直しましょうね。私、ブラッドのことが好きよ。もちろん、仕事なんて関係ないわよ。
だってもうレイシーは必要ないもの。ちゃんと目を見て、真っ直ぐに貴方に伝えるわね。だから待っていて。



つぎに目が覚めたなら

[2013年10月8日 脱稿]