人の気配――・・・・・。


複数人の気配に集まっていた動物達が蜘蛛の子を散らす様に逃げてしまった。折角、仲良くなれたのに。
小さく溜息を漏らして立ち上がると、座って付いた埃を払いながら近付いてきた気配にゆっくり顔を上げた。


「お客さん脅かすのやめてくれへん?」

と、呆れた声。仰々しく息を吐きながらはブラッド=デュプレとその部下達を来訪者として一応迎える。
不穏な空気を纏ってやって来るものだから動物達が怯えて逃げてしまった。憩いの時間を返せと言いたい。
だがブラッドは特に気にした様子もなく「おや、それはすまないな」等とのたまう。まるで感情が篭ってない。

「仕事の依頼がしたくてね」

「それよりも、」と、まるでその話題に興味を示さず本題を切り出した。相変わらずマイペースな男というか。
は再び溜息を漏らした。そして彼とその部下を一瞥した。右腕の三月ウサギに双子の門番まで居る。
この面子を見て『表』と思うほど頭の回転は鈍くない。依頼内容はおそらく『裏』に従事するものなのだろう。

確かにクローバーの国に来てからは積極的に『裏』の仕事も請け負っている。ただしこの身は一つだけだ。
全てをこなすことは出来ないから、依頼する側をある程度の篩に掛けた上で依頼話を聞くことにしている。


「・・・わすれもの」

店に向かおうとした彼等にはその言葉を投げ掛ける。入店時の確認事項を忘れたとは言わせない。
たとえ彼等が役持ちであってもこの一線だけは譲らない。それは依頼を聞くか否かの最初の条件なのだ。
もちろん、仮にすべての条件を満たしていたとしても気乗りしない依頼内容ならば受ける気はさらさらない。

その言葉にブラッドは小さく笑うと片手を上げて部下に合図する。後ろに控えていた構成員が道を開けた。
鳥籠を持った構成員がそれをエリオットに渡し、の目に届く様に持ち上げて翳した。中身に目を遣る。
「・・・それ壊したん?」と、思わず眉を顰めた。籠の中の蒼い物体は小鳥だった。と言っても本物ではない。
無残に翼を撃ち抜かれたそれは籠の中に横たわっていた。青い鳥は幸福の象徴。それを撃ち落とすとは。


「捕えれば良いのだろう?」

しれっと言い切ったブラッドに本日何度目かの溜息。「・・・どうぞ、中へ」と、諦めた様に店のドアを開けた。
捕え方に不満は残るが、確かにブラッドは依頼を受ける条件を満たした。だから、依頼内容は一応聞こう。
ただ言わせて貰うと、もう少しやり方を考えろと言いたい。その小さな絡繰の修理費がどれだけ掛かるか。

店内に招き入れ、メインのテーブルにブラッドと幹部を案内する。席に着いたのはブラッドただ一人だけだ。
「なんか飲む?」と尋ねれば愚問だった。間髪入れず紅茶を要求され相変わらずだとは小さく笑った。
仮設店舗だから本来より備品は整ってはない。とは言え、仕事の進捗を促す為に飲み物は充実している。
店員一人に対して随分な人数だなと店内を一瞥して思った。帽子屋からの依頼というだけで厄介だと思う。


(・・・厄介事に巻き込まれそうやなぁ)

嫌な予感しかしない

かと言って、条件を満たしている客を門前払いするわけにもいかない。招き入れて取り敢えず話は聞こう。
ただし受けるか否かは別問題だ。そこはたとえ相手が友人たるブラッド達が相手でも決して譲る気は無い。
マフィアらしい強引な手段を使うと言うならそれまで。実力行使に対してはこちらも相応に応えさせて貰う。



依頼内容を聞いては僅かに目を細めた。厄介な依頼だろうと思っていたが、案の定。本当に厄介だ。
何のつもりか知らないが、アリスさえ危険に晒されかねない。沈黙するの答えを待っているのだろう。
妙な沈黙が店内を包んだ。アリスを一時的に塔の手伝いに出して正解だった。こんな場面、見せられない。


「・・・・悪いけど」

ふぅと息を吐き出しながら言う。この依頼を受けることは出来ない。悪いとは建前で心の底から思ってない。
少しでもアリスを危険に晒す可能性を孕んだ不穏分子は遠ざけるに限る。一人で済む話ならまだしも。
これはあまりに危険だ。美味しい話だとは言えない。の答えに店内の空気が糸のように張り詰める。

「お嬢さんが心配か?」

と、ブラッドは薄ら笑みを浮かべて尋ねた。それに対して「なるべく危険な目に遭わせたないし」と、答えた。
JabBerWoCkyの時点で危険は否めないが、それでも『裏』に比べれば可愛いものだ。『裏』はの領域。
少なくとも命を狙われてもおかしくない仕事にアリスを関わらせる気は無い。たとえ生活のためだとしても。

生活も大事だ。が、それ以上に案じるべきはアリスの身の安全。ロリーナから任されたからだけじゃない。
これはの意思というのを否定しない。数少ない友人だということは認めている。大切だとも思っている。
だからこそアリスを巻き込みかねないこの依頼ははね退ける。『君子危うきに近寄らず』という言葉もある。


「少なくとも・・・貴方の思惑通りに踊らされる気はないよ、帽子屋さん」

人心掌握を得意とするこの男の言葉は毒性が強い。それを知っているからこそは微笑んで釘を刺す。
下手に噛み付こうものなら間違いなく嵌められる。それにこの手合いは何も今回が初というわけではない。
マフィアのボスほど場数を踏んでいるわけではないが、とてこの仕事で培ったものは少なからずある。

領主たちがそれぞれ領域を持つように、JabBerWoCkyの主人はだ。つまり此処はの領域である。
張り巡らされた蜘蛛の巣に掛かった獲物を逃がすも放すも彼女次第。人数等この場では無意味に等しい。
だからこそ向けられた複数の銃口に身構えることもせずに彼女は笑った。実力行使とはスマートではない。


「あまり女性を乱暴にしたくはないのだがな・・・さて、依頼は受けて貰えるのかな?」

「カプリスキャット」と、あてつけのように滅多に呼ばれないその名を出されては内心苛立ちを覚えた。
はその呼称をそもそも好まない。確かに彼女を表現するにこれほど的確な呼称もないと思うのだが。

「・・・流石マフィア。従わせるためなら手段は選ばない?」

今まで依頼を受けるか否かの駆け引きで決裂した事は数知れず。こうして緊迫した空気になったのもまた。
それでもは焦りを覚えたことはない。相手を煽る様に軽く拍手を送り嘲るようにその言葉を吐き捨てた。
別に帽子屋ファミリーが嫌いなわけではない。彼等はまだ紳士的な方だと思う。だけど気に入らなかった。

――一瞬でも、アリスを巻き込もうとしたことが。

ファミリーそのものを馬鹿にするような態度に構成員がざわつく。ひとつ、またひとつと殺気が向けられる。
その筆頭たるブラッドは涼しい顔で紅茶を飲んでいた。ファミリーを馬鹿にされ怒るなんて大した忠誠心だ。
「すこしは見習って欲しいわ」と、最近になって飼い始めた番犬のことを考えながらは溜息を漏らした。

道に迷ってなかなか店には戻って来ない。かと言って職場に戻っているかと思えばそういうわけでもない。
どこを彷徨っているのやら、彼を雇ってから仕事が少し楽になるかもと思ったがとんだ見込み違いだった。
用心棒としては文句なしだが肝心の用心棒が常勤では無い上になかなか姿を見せないから意味が無い。
よくもまぁあんな出来の悪い犬を飼い慣らせたものだ、とクローバーの国に居ない友人に尊敬の念を抱く。


「こちらも急を要していてね」

「手段を選ぶ余裕がなくて困っているんだ」と、一体どこまで本心なのやらブラッドはしれっと言ってのけた。
ここにアリスがいなくて本当に良かった。彼女はお人好しだからこんな頼まれ方するときっと悩んでしまう。
他人ならまだしも交友関係ある親しい友人が相手になると、途端にその牙城は脆くなるから困ったものだ。

「せやね。だって、私に頼るくらいやもん」

一介の情報屋に頼らざる得ないほど切羽詰まっている。か、どうかはさておき、帽子屋らしからぬやり方。
依頼を受ける気はないが理由に興味を抱いてしまう辺り、の悪癖だ。程良いスリルはスパイスになる。
つまらない日常というキャンパスに予想だにしない新色を加えてくれる。常には要らないがたまには良い。

「なら、少しは気持ちを汲んで貰いたいものだな」

クローバーの国広しといえども帽子屋を翻弄する女はそうは居ない。これが余所者なのだからおそろしい。
好奇心は猫をも殺す、というがよく言ったものだ。これが目の前の少女でなければ今頃、穴が開いていた。
溜息混じりに一応の説得という名の言葉を投げ掛けるブラッド。それに対しては相変わらずにこやか。


「うーん・・・・・残念やけど」

「無理」という一言を笑顔で投下した瞬間、彼の右腕の堪忍袋の緒が限界に達したらしい。撃鉄が外れる。
エリオット=マーチは決しての事が嫌いなわけではない。が、まどろっこしいやり取りは大嫌いだ。
それがたとえ好意を抱く少女が相手だとしても、終わりが見えない不毛な騙し合いだけは我慢がならない。



寸分も狂わずに発砲したエリオットだが、その軌道はから放出された金色の薄い膜によって逸れた。
能力を使って防いだのであろうことは明白だ。その証拠にの漆黒の双眸が僅かに金色を帯びていた。
「あぶないなぁ」と、口先だけだとよく分かる。危なげなく回避しておきながら白々しい。涼しい顔をしていた。

にこりと笑い「とんでもない依頼費やね」と、付け足す。鉛弾が依頼費なんてなおさら受ける気が起きない。
その言葉にブラッディ・ツインズの片割れで、お金好きなダムが「たしかに」と、納得した様にぽつりと呟く。
彼なら同意してくれると思った。報酬を出すなら曖昧なものではなく目に見えるものを提示してもらわねば。
とは言え、ダムとその兄弟たるディーが斧を構えたところを見るとどうやら実力行使で受けさせる気なのか。


「ちょっと・・・躾がなってへんのちゃうの?」

一瞬、視界の片隅から消えたと思えば、直ぐ距離で斧を振り切ろうとする二つの影。それをすっと避ける。
狭い店内でよくもまあ物を壊さずに暴れられるものだと感心した。が、女性に手をあげる行いは頂けない。
最低限の動きだけで避け彼等の飼い主を軽く皮肉る。が、これまた薄く笑うだけで止めようともしなかった。

この部下にしてこの上司あり――だ。

偶には運動も悪くないが店を荒らされるのは好ましくない。一気に片を付けようとも臨戦態勢に入る。
手をあげる行いはあまり好きでない。出来れば平和的な解決法が好ましいが聞き入れないなら仕方ない。
やれやれと応戦しようとしたの前を影が過った。今更駆け付けるなんてヒーロー気取りなのだろうか。


「女の子に武器を向けるなんて紳士じゃないぜ?エリオットも門番君たちも」

と、爽やかに笑いながら言葉を紡いだのは外套を纏った男。「・・・遅い」と、は溜息混じりに男に言う。
それを耳にしたのか彼はまた颯爽と笑って謝罪の言葉を紡いだ。反省してるか否か問えばおそらく後者。

「「なっ・・・!?」」 「おまえ・・・っ!!」

双子の攻撃を剣を受け止め、弾いた瞬間に放たれた銃弾を即座に切り捨てる。並の腕では出来ない芸当。
少なくともダムやディー、エリオットはそんな芸当が出来る輩を一人しか知らない。故に驚きの声が漏れた。

「ごめんごめん。手紙をもらって急いで駆け付けたつもりだったんだけど途中で迷っちゃって」

「参ったぜ、あははは」と、フードを外した拍子に、その顔が露わになる。声を聞いてもわかるが、エースだ。
その返答にやっぱりと言わんばかりには溜息を吐く。嫌な予感がして手紙をだしておいて正解だった。
本職を持つエースと連絡を取る為にが選んだのは鷹の形を模した絡繰で招集を知らせるという方法。

だが、手紙が届けど当の本人が呼び出しになかなか応じなければ意味が無い。拒否の意ならまだマシだ。
が、エースの場合はやりたくないのではなく大半の理由がJabBerWoCkyに来る道すがら迷ったというもの。
「・・・鷹に案内してもろたら良かったやん」と、呆れ声になる。何のための連絡係だと思っているのだろうか。
エース曰く「自力で辿り着かなければ意味が無い!」らしいが、ならばせめて招集したら直ぐに来て欲しい。


「困ったお客さんも多いから番犬飼うことにしたんよ、最近」

番犬というには凶暴性が強過ぎるが、その実力はお墨付きだし女ばかりのJabBerWoCkyにとって心強い。
まさかその犬を帽子屋ファミリー相手に宛がうことになるとは思いもよらなかった。はふわりと笑った。
舌打ちと、店内がどよめく。ブラッドも微かに反応を見せたがすぐに納得した様にエースとを一瞥した。

「なるほど、確かにこの国はマフィア同士の抗争も多い」

「女だけではさぞ不安があるだろう」と、白々しく言うブラッドに、不安を煽ってるのはお前だ、と、言いたい。
抗争に巻き込まれるだろうことはこの仕事をしている限り何れあるだろうともアリスも覚悟はしている。
だが、なるべく安全な生活を送れるように、と店を中立地帯に構えた。それなりに安心の安全網を作った。

それを破綻させようとしてるのは目の前の彼等だ。

普段なら良い取引相手だから喜んで受けるが、今は事情が違う。きな臭い空気が漂っているように思える。
だからなるべく危険なことは避けたい。それなのにその気持ちを汲んでくれない帽子屋ファミリーに苛立つ。


「まあ、番犬って言えるほど賢くないし、むしろ駄犬って言った方が語弊がないかも知れんけど・・・」

その結果、安全を図って少し凶暴な番犬を飼っただけ。心強いが未だに懐いてくれないことが偶に瑕だが。
ブラッドの言葉に壁に凭れたままも笑顔を貼り付け答えた。「え〜酷いぜ」と言う、エースの不満の声。
どっちがだ!と、言いたいのをグッと堪える。彼のおかげで防犯面に関してかなり強化されたのは事実だった。


その犬、獰猛につき

[2013年4月1日 脱稿]