何度でも叫ぶよ 君の名前に届くまで
【SIGNAL/KELUN】
変わらない日常。そんな中で些細な違和感に気付いたのは本当に偶然の事だった。仕事の空き時間にて。
鋭い威嚇の声と同時に差し出した指先に鋭い痛みが走った。一拍遅れて視線を落とすと赤い血が滲んだ。
戸惑いと困惑よりも先行したのは動揺だった。
半年前に慈癒院に引き取られた銀色の猫はとても警戒心が強い。前の飼い主に虐待されていたのが原因。
が、最初の時以来、威嚇し攻撃を仕掛けて来た事は無かった。こんな風に敵意を向ける事は無かったのに。
怒りやショックでなく、言い様の無い不安が過った。嫌な予感が募る。自分の知らないところで何か起こった。
「・・・・・ぎん?」
猫の名を呼び、今度は驚かさないようにゆっくりと手を伸ばした。撫でようと頭に手を翳せばびくりと震えた。
それ以上の無理強いはせずには一度手を引いた。ぎんが困惑したように瞳を揺らしてこちらを見遣る。
銀色の美しい毛並みをしたその猫を院の者は皆、ぎんと呼ぶ。銀色だからぎん。在り来たりな名前だと思う。
とは言え、その名前が浮かんだのはそれだけが理由では無い。まあその理由を誰かに話すことは無いが。
過去の境遇からぎんは体がとても弱く、とても警戒心の強い子だった。だがその本質は甘えたで賢い猫。
最初は戸惑っていたが少しずつ院にも慣れてやスタッフへの警戒も次第に薄れていった。今や無防備。
だから、甘えたりかまえとじゃれることはあっても、こんな風に威嚇し、攻撃を仕掛けて来るのは久しかった。
初め暫く万事屋の仕事が忙しく構ってやれなかったから拗ねてるのだろうかとも思った。猫は寂しがり屋だ。
が、
「おいで、ぎん」
なるべく視線を合わせようと屈んで腕を広げて待つ。自分から触れにいかないのは、ぎんが警戒するから。
無理にいけばおそらくはまた先程の二の舞を踏むだろう。おどおどした反応を見せた後ゆっくりと近付いた。
何度も鼻をふんふんと鳴らして確認し、少しずつ警戒を緩めていく。焦れる思いはあるが、根気よく待った。
「にゃー」と、か細く鳴いて、漸く警戒を解いたぎんがいつものようにの腕の中に甘えるようにじゃれつく。
腕に頭を擦り付けるその様はいつもと変わらない。だからこそ気付いてしまった。先程の違和感の原因に。
ぎんのあの反応を目の当たりにして気付けない程、幾らお飾りの院長とはいえども鈍感では無いつもりだ。
動物は人間よりもわかりやすく素直だ。否、素直であるか以前にあんな反応をする理由は限定されてくる。
(・・・・・虐待?)
思わず息を忘れる
誰に?どうして?瞬間的に思うことは幾らでもある。ただ、信じたく無かった。認めたく無い気持ちがあった。
此処で。この慈癒院で忌むべきそれが起こっていたなんて。しかし動物は決して嘘を吐かない。真実である。
「・・・・・・・・・」
誰に傷付けられた?言葉に出来ず、撫でてと強請るぎんの頭をくしゃり掻き撫でながらは目を細めた。
沸々と込み上がるのは怒りだ。否、それを怒りと呼べば良いのか分からない。苦い痛みがじわりと広がる。
信じたくは無い。が、現状から察する限りそれは確かだろう。哀しきかな、それも犯人は慈癒院に居る者だ。
しかし立証しなければ罪は問えない。今まで気付けなかった己の無力さに苛立ちが募る。そして犯人にも。
世界がぐらりと揺らいだ気がした。此処だけは違うと思っていたのに。しかし今それを責めても意味がない。
昔のように感情のままに振る舞えないのは己の立場ゆえ。否、今成すべきは何か。それはもう知っていた。
「確かに。ここ最近、ぎんの脱毛の増加はストレス性のものね。以前はこんなに脱毛は見られなかった」
慈癒院の専属獣医師である周防寿はマグカップを片手にカルテを見ながら診断結果を告げる。やはり、か。
その報告を受けながらもの視線はひと月前のされた検診の診断書が挟まれた黒いファイルにあった。
今回の検診結果と前回の検診結果を比較すれば証明される。明らかにぎんに異変が起こっているのだ、と。
寿は先に述べた通り、獣医師だ。正規の免許を持つわけではないが医学を学ぶ者が更に獣医学を学んだ。
彼は獣医師であると同時に創設時からを支え続ける副院長であり、の右腕だ。最も信頼ができる。
慈癒院を創設するにあたり、が初めて己の本音をぶつけた相手でもある。手古摺ったのは否定しない。
寿は常にの壁であり、課題を与える者であり、数少ない理解者であった。そして行動を見守ってくれる。
彼が居たからこそ、今日まで曲がりなりにも何とか院長として務めて来られたと言っても過言ではなかった。
――その言葉は信じるに値する。
「・・・・・ありがとう。ここ一ヶ月の詳細記録もろてもいい?もっかいチェック入れて見るわ」
大きな検診は月に一度だが、体重測定などの大まかな診断があった。そこから何か探れるかも知れない。
そう言いつつもの手は休むことなく数ヶ月前の記録を見直していた。作業を始めて数時間が経過した。
その個室は院の一角に設けられた院長室だ。此処に籠もってひたすらに書類を片付ける。所謂、執務室だ。
とは言え、は本職である万事屋もある。故に現場の統括は寿に任せて自分は裏方の業務が多かった。
だからこそ今回の件は人選ミスであり明らかにの失態だった。間違ったで許されない。許されたくない。
自己嫌悪は当然募る。虐待なんてこの場所で起こって良い筈がない。否、絶対に起こってはならないこと。
なのにそれは起こってしまった。起こった事は取り消せない。なら何をするべきなのか。犯人を暴くことだけ。
可能性を持って直ぐに保護してから今に至るまでのぎんの調書を見直した。一言一句逃さずに追い続ける。
そして、嫌な真実に辿り着いてしまった。
「寿さん、職員名簿と一ヶ月以内に雇用した職員の履歴書とってくれへん?」
妙に乾いた喉を潤す様に机に置かれた紅茶に口を付ける。紡いだ声はどこか弱々しく覇気を感じさせない。
「・・・お嬢、大丈夫?」。院長という立場だがまだ10代の少女には荷が重い。その横顔に寿が問い掛ける。
不意に手渡された履歴書と名簿に目を通していたの視線が止まった。無意識なのか拳を握り締める。
「お嬢」
寿の声すら届いて無かったようだ。もう一度呼び掛ければ、その肩がぴくりと揺れる。ゆっくりと顔を上げた。
「ん。大丈夫」。短い返事と共に返る大丈夫が本心か否かは分からない。肩を竦めては笑みを作った。
だが恐らくは強がりなのだろう。その強がる姿もあの人によく似ていて、寿は胸の奥が鈍く痛むのを感じた。
ぎんに変化が訪れたのは前回の検診以降のこと。ケージ内で頻繁に脱毛の形跡がみられるようになった。
担当者が日々の記録を書いているのだが特筆事項は無かった。否、一つだけあった。担当者が交代した。
手伝ってくれていたスタッフが家の事情で来られなくなり、代わりに新たなスタッフがぎんの担当者となった。
この頃、ぎんは食欲不振と同時に大量の脱毛を起こしていた。最初は担当交代に因るものだと思っていた。
実に浅はかで愚鈍な判断だった。ぎんの異常を見る限りではこの頃から受け始めていたのだと推測される。
否、虐待まではいかずとも、かなり強いストレスを小さな身に受けていたのだ。あの子は。気付けなかった。
その頃、は万事屋の仕事に追われて院に殆んど顔を出せずにいた。元々慈癒院のスタッフは少ない。
が、それに反比例して保護する動物は多く、それら全てを把握するのは困難だった。見事な穴だっただろう。
最高責任者は不在で、自分以外に担当動物を見て回れる人手が無い。そして検診を終えたばかりのころ。
まるであつらえられたかのような――状況。
「
香月亜門・・・亜門、ね。ぎんの担当者」
横から資料を見ていた寿ははっきり見た。書類を食い入るように見つめるの瞳が薄ら金に染まるのを。
ぴりぴりと肌を刺す空気に肩を竦めて息を漏らす。「・・・破れるわよ」。と、宥めるように一言。空気が和らぐ。
一瞬息を詰めただったが直ぐに平静を取り戻したのか、否、抑えたのだ。小さく息を吸い込み口を開く。
「・・・・・現場、押さえなあかんにゃんな?」
確か、と。静かに発せられた声は妙に室内に響いた。冷静を装っているようだがそれもいつまで持つのか。
「・・・そうなるわね」と、寿は短く言葉を返した。その事実に怒りを堪えたのはなにもだけではなかった。
全身を迸るこの激情は怒りから来るものなのだろうか。亜門に対してではない。浅薄な自身への強い憤り。
何故、今の今まで気付けなかったのだろうか。こんな単純なことに。どうして、今まで見抜けなかったのか。
こんな簡単なこと。些細だがとても大切なことなのに。もう何度もぎんはシグナルを発していたのにどうして。
(・・・・・どうして)
堪らず瞑目
遣る瀬ない気持ちが募った。もう二度と、あの子にそれを経験させてはいけなかったのに。そう誓ったのに。
そのために慈癒院を作った。傷付かないで欲しいから。最後でもいい。もう一度だけ好機が欲しいと乞うた。
だから――
香月亜門は三週間前にボランティアスタッフとして院に出入りを始めた。まだ若い20代くらいの青年だった。
真っ直ぐな目をして「動物と真剣に向き合いたいんです」と、語った。大切な友だから、と。彼は言ったのだ。
文句無しに好青年だった。その言葉を信じたわけじゃない。でも、動物が大切だと言った目を信じたかった。
言葉ほど宛に成らないものは無い。最高責任者として見誤るわけにはいかなかった。簡単に信用出来ない。
多少の猜疑心は必要であるし見抜く目が必要とされた。だから真剣に向き合った。結果が盛大に見誤った。
持論である「動物好きに悪い奴はいない」なんて綺麗事だ。それを甘さと知っていたんだ。でも信じたかった。
救い様の無い程に愚かで、浅はかで醜悪な人間だらけの世界で、此処に、慈癒院にだけはありえない、と。
――そう、願いたかった。
「・・・・・ちょっと出掛けてくる」
落ちつこうと深呼吸一つ、立ち上がって言った。が向かう先は何となく察した。彼女が頼るのは一人だ。
今の慈癒院には保護された動物に対しスタッフが不足してる。どうしても今の人手では足りないのは明白。
だとすれば頼れるのはあそこだけ。そして彼は助けてくれると寿も知っていた。だから黙ってそれを見送る。
「あれ?ちゃんどうしたんですか?今日、仕事だったんじゃ・・・?」
「もしかしてサボりアルか?」
「それ失礼だから!でも、本当にどうしたの?」
ドアを開けると廊下から足音が響き、新八と神楽が顔を覗かせた。そして駆け寄って来る。意外そうな表情。
今日は遅くなると伝えていたから、あまりにも早い帰宅に驚いたようだ。は肩を竦めて苦笑を浮かべる。
不謹慎だがいつもと変わらない空気に安堵する。張り巡らされた糸の如く緊張していた心が僅かに緩んだ。
「ん。野暮用」
「・・・銀さんいる?」と、短く言葉を返す。どこか素っ気ない風にも取れる反応に新八は引っ掛かりを覚えた。
しかし気を遣って直ぐに「居ますよ」と、頷いて、居間でジャンプを読んでるだろう銀時を呼ぼうと振り返った。
ら、
「おめー仕事は?」
直ぐ真後ろに立っていて驚いた。そんな新八を気に掛ける事も無く頭をくしゃりと掻きながら銀時が尋ねた。
「抜けて来たんよ。暇やろ?」と、いつもの調子でが答える。「厭味かこのやろー」と、頭を小突かれた。
少し理不尽な気もしたが、依頼の無いことに今日だけは良かったと思った。これで心置きなく本題に入れる。
「・・・貴方がたに依頼があるんですが、」
頭を擦りながら吐息ひとつ。そして慈癒院の院長として改まった風に口を開いた。他人行儀な喋り方だった。
真剣味の帯びたそれに何かを察したのか銀時が「入れよ」と、顎で促す。そして事務所の方に足を進めた。
後追うようにが。そして、状況が把握し切れず困惑がちに新八と神楽がその後に続いて部屋に向かう。
流石というべきか、銀時の洞察力は毎度の事ながら凄い。それとも単に表情に出ていただけなのだろうか。
何れにせよ限られた言葉で少しは察してくれて嬉しい。正直、まだ自分でも割り切れてない部分があるから。
処理が上手く出来なくて余計な事を口にすれば感情的になってしまう気がした。子供のような理由だと思う。
「で。依頼って何スかね?」
いつもならその隣で一緒に依頼を聞く側だが、今回は依頼する側に回った。この場所に座るのは二度目だ。
気を遣ってお茶を出そうとした新八に礼を言って丁重に断る。今は呑気に茶飲み話をする気分になれない。
向けられた銀時の言葉はいつもと同様で気抜けしそうな呑気なもの。その雰囲気に少しだけ安堵を覚えた。
「・・・・・ある人物を監視してもらいたいんよね」
本題は簡潔に。「監視・・・?」と、銀時の隣で新八が驚いたように声を漏らす。それに対してこくりと頷いた。
内輪の事だから本当は自分たちでどうにかしたかったが、どう動いても人員不足がネックになって進まない。
そもそも嘘の吐けないどうしようもないお人好しばかりが揃っているのだ。監視なんて出来る筈も無かった。
「この子はぎん。うちで保護している猫なんやけど・・・」
まず最初に話すのは被害者でもあるぎんのこと。一枚の写真を卓上にそっと差し出して静かに口を開いた。
「銀色の猫・・・だから、ぎんですか?」「銀ちゃんみたいアルヨ」「おまえ猫に似てるって言われて嬉しいか」。
写真を見た反応は三人共さまざま。いつもと大差ないその反応に思わず頬が緩みそうになり引き締め直す。
「・・・で?」
言葉の続きを促す様に銀時が視線を向けた。口を開こうとするのだが言葉が喉に引っ掛かって出て来ない。
ただ一言「虐待されている」と言えば良い話。だが言えない。それを口にしたく無かった。認めたく無かった。
まだ亜門を信じたがっている自分が居る。もうそんな悠長に構えていられる余裕がないと分かっているのに。
――それでもまだ信じたいなんて愚かだ。
自分の甘さは理解している。切り捨てることの出来ない。その強さを持たない自身の甘さだと分かっている。
そしていつか身を滅ぼすかも知れない、と、そんなことは理解している。大事なものを失うかも知れない、と。
否、既にぎんを失おうとしている。だから、迷ってはならないのだと分かっている。亜門は禁忌を侵したのだ。
「虐待を・・・・受けてるみたい。依頼内容は、その現場を押さえること」
深呼吸一つ、吐き出す様にゆっくりと無理矢理その言葉を絞り出した。肩を竦めにが笑うしか出来なかった。
虐待という言葉に神楽と新八が動きを止めた。銀時も少し意外そうな表情を見せた。普通ならばありえない。
あってはならない事だ。だがその現実は見えない場所で起こっている。それも、慈癒院で起こってしまった。
「こ、この子がですか・・・?えっ・・・あの慈癒院で!?」
信じられないと言わんばかりに新八が尋ねる。否定したかった。だがそれは叶わず、苦笑を浮かべて頷く。
先刻の比ではない程、緊張の糸は張り詰めていた。落ち着かせようとすればする程にドツボに嵌っていく。
この問題は既に慈癒院の信用問題云々話では無くなった。言ってしまえば、根本を揺らがす大問題だ。
「こんな可愛い生き物をいじめるなんて許せないヨ!私がとっちめてやるネ!!」
「ありがとう。・・・受けてもらえますか?」
「その前に、状況説明が説明が抜けてるんじゃねーか?」
虐待と言う言葉に憤りを見せたのは神楽。そんな神楽の言葉に礼を告げて、責任者である銀時に尋ねた。
溜息一つ、発せられたその言葉に断わられたわけではない事を悟る。その言葉に二枚目の写真を出した。
どう見ても好青年にしか見えない亜門の写真を見て、新八が「本当にこの人が・・・?」と、困惑を浮かべた。
嬉しそうに仔犬を抱き上げる亜門の写真を見たらどう見てもそんな事を仕出かす人間には見えないだろう。
しかし――彼以外に考えられなかった。
「香月亜門。三ヶ月前にボランティアで雇いました。ぎんの現担当者です」
「でも、それだけじゃ虐待とは限らないんじゃ・・・?」
「・・・・・それならあんな反応せーへんよ」
まだ信じがたいのか新八が困惑がちに言葉を返す。本当に新八は人が好い。うちの連中に負けず劣らず。
その言葉を迷うことなく首を横に振り否定する。もう何度も「違う」と否定した。だけども否定出来なかった。
ぎんの反応が全てを物語っている。
あの反応は、怯えたあの表情は嘘ではない。嘘で出来るものじゃない。攻撃を仕掛けた後のあの顔だって。
「・・・・・・」。思い出すと胸が締め付けられる。その後、困惑を隠せぬまま寄って来た。そして頬を擦り寄せた。
あの時、ぎんが見せた不安を募らせた目が忘れられない。信じたいのに、信じる事が出来ない。迷子の瞳。
「確信はあっても立証できねぇってとこか?」
「・・・お恥ずかしいながら」
「つまり慈癒院の中に犯人が居たってことアルか?」
「神楽ちゃんっ!!」
神楽のストレートな言葉が清々しく、それでいて容赦なく胸に突き刺さった。それを咎めたのは新八だった。
だがそれを緩々と首を横に振って宥める。「・・・事実やから」。にが笑う。完全に自分の人選ミスだったのだ。
紛れもない事実。否定なんて出来ないし、しようとも思わない。第一その権利を有していない。自分のミス。
しかし胸が痛むのは仕方がないだろう。臆病な自分が今すぐにでもこの場から逃げ出したいと叫んでいる。
怖かった。自分で蒔いてしまった種だから仕方がないとは言え、怖かった。慈癒院が壊れてしまう気がした。
――弱い自分にうんざりだ。
慈癒院の院長なんて大層な肩書きがあっても所詮はただの小娘だ。全てを背負うなんてあまりに荷が重い。
だけど逃げだすことも出来ない。自分が選んだ道だし、慈癒院には綺麗事みたいな夢が詰まっているから。
投げだせない。少なくとも今はまだ。この事件を解決するまでは、逃げ出すわけには絶対にいかなかった。
「私達では解決しかねます。だから・・・お願いします」
深く頭を下げたに神楽と新八は慌てて「ちゃん!?」「頭下げる必要なんてナイヨ!!」と、宥める。
今まで正式な依頼でなくとも手伝いで慈癒院と接点があった。勿論、一番の理由はが居たからだけど。
そこで働く姿は幾度も見て来た。しかし、こんな風な態度で自分達と接するを見たのは初めてのことだ。
そもそも依頼者と万事屋の関係以前には万事屋の仲間である。頭を下げられる謂れなんて無かった。
なのには一向に顔を上げようとしない。膝の上で堅く握りしめられた拳がその強い意志を表わしている。
――断わられたとしても、食い下がる。
利己的な人間だと言われるだろうが、礼儀だからという理由で頭を下げているわけではない。もっと打算的。
慈癒院の院長だから。立場的な理由なんてものじゃない。ただ、断わられるわけには絶対にいかないから。
プライドだとか形振りを構っている場合じゃない。依頼を受けて貰えるなら何だってする。土下座だってする。
(まだ・・・・)
更に堅く拳を握った
終わって欲しくは無いから。この夢だけはまだ壊れて欲しく無い。届かない幻想だったなんて、思いたくない。
打ち壊されたくない。夢を夢で終わらせてなんて堪るもんか。周囲がなんと言おうとこれだけは棄てたくない。
棄てたくなんて――ないんだ。
「・・・・・ちゃんと依頼費出せんのか?」
不意に銀時が下げたままの頭にそう言葉を投げ掛けた。いつもの口振り。その言葉には目を見張った。
「・・・払うよ。一括で」。小さく呟いた。ポケットマネーでも構わない。手を貸してくれるなら幾らでも出してやる。
その言葉に銀時は満足げに笑った、のだと思う。頭を下げていたからはっきりと表情は見られなかったから。
「なら交渉成立だな!」と、その一言の後に下げていた頭を軽くしばかれた。思わず体制が前のめりになる。
擦りながら顔を上げると間近に居た神楽がに飛び付き新八がホッとした様に笑う。銀時に目を向けた。
「顔上げとけ。依頼主があんま下手に出てっとなめられんぞ」
いつもと何ら変わりのないやる気の無い声。銀時に目を向ければ変わらず死んだ魚のような目をしている。
頼れるか否かと聞かれたら間違いなく不安だ。が、掛けられたその言葉に何とも言い難い気持ちが募った。
(・・・・この人はホンマに)
自然と笑みが零れる
そして目を伏せた。心に火が灯る様に安堵感に包まれる。本当は優しい言葉を掛けて貰う資格なんてない。
自分でも重々承知している事だがその一言にホッとする。救われる。そんな一言を彼はあっさりと口にする。
だからなのだろう。自分は坂田銀時という人間の傍を離れられない。その傍に居心地の良さを覚えてしまう。
――そこが居場所には成り得ないことを知ってるのに。