自分が居る所を いつも仮の場所だと

逃げて逃げて 夢の世界へ きみの声を抱きしめる


【遠い匂い/YO-KING】




季節で言えば、春。桜が咲き、ちらほらと散り始める頃合。夜色の空は雲掛かっておらず、月が綺麗に映る。
こんな日は月を眺めて一人酒と洒落込みたい。普段は一人酒なんてしないのだがそんな気になる日もある。

たとえば――こんな日は。


(先客、か・・・?)

目を凝らす

縁側にちらり見えた人影に足を止めた。今日は神楽の我儘、そして妙の歓迎もあり志村家に泊まっている。
となれば邸内に居るのは家主の妙か新八、神楽かに限られる。まあ昼夜問わず忍び込む輩も居るが。

――それとは違う。

慣れ親しんだ気配に銀時は息を漏らした。やっぱりか、という思いがあった。時間帯を考えれば答えは明解。
まだまだ子供である新八と神楽がこの時間帯に起きていられる筈もない。妙も流石にもう眠っているだろう。
気配を殺して柱の陰からそっと視線を向けると、視界の片隅で烏の濡れ羽色の髪が揺れた。思った通りだ。

柱に凭れて空を仰ぐ小柄な少女の姿を捉えて銀時は思う。得意でもないだろうに徳利を傾けて月を眺める。
一瞬、声を掛けるのを躊躇ったのはいつもと違ったから。見覚えのある横顔。だが声を掛けるのを躊躇った。
月の淡い光の所為かどこか物哀しげに映った。声を掛ければ消えてしまうのではと錯覚する程、儚く映った。


「・・・・・未成年の飲酒は禁止のはずだぞ、不良娘」

結局いつもと変わらない調子で声を掛ける。その声に緩々と視線を持ち上げると、は銀時を見つめた。
酔っているわけではない。が、慣れない日本酒を呑んだからなのだろうかほんのりと頬は赤く染まっていた。

「そう堅いこと言わんといてよ、呑みたくなる時もあるんですぅ〜」

「これでも、結構大変なんよー?」と、くすくすと笑って他愛もない言葉を紡ぐ。笑っていた。だが笑えてない。
その違和感は本当に些細なもので共有する時間が短ければきっと銀時でさえ見落としていた程度のもの。

だがそれを指摘する真似はしない。

したところできっとは上手くかわす。銀時がこれ以上踏み込んで来ないと判断した上での距離を以って。
妙なところで器用だ。否、それを器用と言えるかは甚だ疑問だが。銀時は小さく溜息を漏らした。厄介な娘。

ふと視線を落とすと相変わらずマイペースに徳利を傾けるの姿。記憶が正しければまだ未成年の筈だ。
確かにこれが初めてというわけではない。量には気を使っている様だし、酒に飲まれるヘマはしないだろう。
それにこの歳で飲酒しているのも珍しくない。が、銀時の立場上としては一応、注意する必要があるわけで。


「おまえね、明日二日酔いになったら承知しねーぞ」 「せえへんよ、誰かさんじゃあるまいし」

軽く注意を促せばなんのその。柔和な笑みに反してその言葉は可愛げの欠片も見受けられない手厳しさ。
反論しようにも日頃を知られてる以上は無駄な足掻きで何とも耳が痛い。如何とも反論し難い的確な言葉。

――できれば、もう少し優しい言葉が欲しいものだ。

は普段から酒呑みというわけではない。が、無性に呑みたくなる衝動に駆られる事は誰しもあるだろう。
そういうときは決まって一人で呑もうとする。それに目敏く気付き一緒に月を眺めて酒を飲むのも珍しくない。
何だかんだと文句を垂れつつも、は一度たりとも銀時を拒否はしなかった。曖昧に笑って濁すばかり。


「・・・で、またホームシックってやつか?」

その日も拒否する素振りは見せず。それを確認して銀時はその隣に腰を下ろした。そして徳利を差し出す。
そして尋ねた。慣れたもので差し出された徳利に酒を注ぎながらは「・・・ちゃうよ」と、短く答えて笑った。
返って来た言葉に、顔を上げて正面から見据えたその顔を目にして。そこで漸く違和感の理由に気付いた。

笑い方が――いつもと違った。


否、言動と浮かべた表情はいつもと変わらない。それなのに違うと感じたのは、何となく哀愁を感じたから。
何かあったのは明白。にも関わらず、それを言葉にしようとはせず、自分の中だけで処理しようとするのだ。

いつもこうだ。

はたして誤魔化す気があるのか無いのか、笑ってはぐらかそうとはするのだが結局失敗して終わるばかり。
ガス抜きもまともに出来ないガキならさっさと吐いてしまえば楽になるものを。結局出来ずに迷走するだけ。
たとえばそれを見たのが銀時でなかったなら。と歳の近い子供なら気付かない。しかし銀時は大人だ。


「・・・・・命日なんよ、今日」

誰の、とは言わなかった。否、言いたく無かったのだ。誤魔化されるかと思いきや、その日は吐き出された。
予想外に続いた言葉にもだが、それ以上にの見せた表情に言葉が出て来なかった。らしくもない声調。

――子供と呼ぶにはあまりに不釣り合いな大人びた表情(かお)

本気で相手を大切に思っていたのだろう。向き合って初めてその双眸が僅かに潤んでいる事に気がついた。
(こいつ、泣いてたのか・・・?)予想外だった。泣き顔は見た事がある。だがこんな顔をするのは初めて見た。
思わず涙が出る程に想う相手だったのだろうか。その瞳を見る限りでまだ囚われている事は容易に分かる。

皮肉だと思った。

あいつと同じ瞳、同じ顔で他の誰かに想いを馳せているのだ。それも生半可ではなく深く相手を想っている。
深くて強い親愛以上の感情を孕んだ瞳。まるで若かりし頃の自分を見ている気がした。あいつを失くした頃。
思わず乾いた笑みが浮かぶ。何故今日なのだ。何故、あいつと同じ日にも失くしものをしたのだろうか。


「で?偲び酒ってか」

考えることは似通っているらしい。茶化すつもりはないが、何の気なしに銀時はいつもの調子で言葉を紡ぐ。
「懐かしむわけちゃうけどね。寝れへんからさぁ」と、もそれに小さく笑い答えるがいつもの覇気が無い。


(ですよねー)

内心 突っ込む

見た限り、どう考えても過去を懐かしんでいるようには思えない。ただ己の胸中で渦巻く何かに抗っている。
忍び寄る何かを払拭しようと我武者羅に足掻いている風にしか見えない。出口が見えない。それでも足掻く。
いつも笑みを絶やさないだから、感情を隠そうとする彼女だからこそ。掛けてやる言葉が浮かばない。

不用意な言葉は相手を傷付ける――言葉は凶器だ。


「あー情けなっ!まさかえぇ歳して泣いて目が覚めるとは思わへんかったわ」

不意に声の調子を明るくしてが言った。しかし、無理に明るく振る舞おうと努めているのが丸分かりだ。
その声が僅かに震えていた。まだ闇は完全に払拭されていない。何度でもの心を蝕んで苛むばかり。

「なにお前、泣いて目が覚めたわけ?」

こんな風に自分の事を口にするのは珍しい。が言葉を閉ざしてしまわぬ様にと、からかうように言った。
それだけ堪えているという証明でもある。笑って濁してはいるが、実際のところは相当堪えているのだろう。
普通はこんな時、抱き寄せて背中を撫でるとか、そうやって安心させてやるのが正しいやり方かも知れない。

が、何となく違う気がした。人によって確かにそれは優しさなのかも知れない。だがあくまでそれは人による。
は本気で心配すれば身構える。かと言って、過ぎた冗談を言えば機嫌を損ねるから勝手が難しいが。
涙の跡は誤魔化せない。眠れなくなる程、泣いて目が覚める程にその夢は忌々しく哀しいものだったのか。


「うっさいなぁ・・・どうせ柄じゃありませんよーだ」

銀時のからかいに唇を尖らせ拗ねた様に言った。勿論、本気ではない。もこの遣り取りを楽しんでいる。
いつもと変わらない他愛も無い応酬。それに安堵している。結局いつもと変わらないのが一番良いのだろう。

「わぁったわーった。銀さんが慰めてやっからそう拗ねんなって」

ならばそれに合わせてやるのが大人の優しさ。更に冗談交じりの口振りで頭を掻き撫でようと手を伸ばした。
が、反射的に手が振り払われた。強いと言っても女の力。然程痛みはない。が、驚いたことは否定しない。
「っ・・・ごめん」。小さく漏れた声。それよりも銀時の手を振り払った当人が一番衝撃を受けているようだった。

「ははっ・・・疲れてんのかも」

故意ではない。それは可哀相なくらいに動揺していたことからよく分かる。明らかに落ち込みを孕んだ声だ。
「気にするこたァねーよ」と、それ以上の謝罪を遮る様に銀時が言う。不用意な動作をした己にも非はある。
柱に凭れ掛かり、座り直したがから笑いを浮かべ言った。溜息混じりに顔を、表情を片腕で覆い隠す。


口元は笑っているが、その表情は伺えない。が今、何を考えているかなんて当然ながら知る由も無い。
銀時はでは無い。だからこの先も彼女が何を考えてるかどれだけ時間を共有しても分からないだろう。
(・・・・・強情なやつ)思わずにはいられない。辛ければ辛いと言えば良いのに。男ならまだしもは女だ。

甘えてしまえば良い。少しでも助けを求めれば誰もが手を差し伸べるだろう。そして、守ろうとするだろうに。
なのにそれをしようとしない。自分で処理できる許容量なんてとうの昔に越している筈。それでも尚、堪える。
堪え続けて何になるというのか。こうして処理し切れずに一人傷付いている癖に。呆れる程に不器用な奴。


「・・・・・生きてりゃ疲れることもあんだろーよ」

言い聞かせるつもりなんて毛頭ない。酷く投げ遣りなの言葉にいつもと同じ調子で吐き捨てるよう言う。
そして同様に月夜の空を仰ぎ見ながら徳利を傾けた。泣き顔を見たわけでもないのに酒が苦く感じられた。

「そりゃそーだ」

その言葉に隣でが小さく笑う気配を感じた。発せられたその声は先ほどよりも幾分明るい調子に思う。
「でも、腰が重い人やったらなかなか次行けんくない?」「なんだそれ、お前のことか?」「・・・それ失礼やで」。
後に続いた会話はいつもと変わらないテンポ。ふと浮かんだ疑問を口にしながらは銀時に目を向けた。


「安心しろよ、そん時ァ引っ張り起こしてやらぁ」

そう言い切った銀時は笑っていた。月に照らされた銀色の髪がきらきらと輝きながら夜風に煽られて揺れる。
上手く言葉が出て来ない。ただ惹かれた。その銀を綺麗だと、眩しく思った。当たり前のように言ってのける。

あまりにも眩しく、それでいて当たり前のようにその光は輝く。決して太陽のような目映さではない微かな光。
たとえばそれは月に似ている。優しい銀色をした光。多分、自分はいつだってその光に護られているのだ。
目を伏せて小さく笑った。そして立ち上がり縁側に降り立つ。身体がいつもより軽く感じるのは酒の所為か。


その光は希望――照らされては安堵し、そして、追いかける。



酔いと共に澱みも冷めたら良いのに

[2013年4月1日 修正]