[ 侍の国 ]

――その場所がそう呼ばれていたのは少し前の時代。


かつて侍たちが仰ぎ夢を馳せた江戸の空。今は異郷の船が飛び交う。
かつて侍たちが肩で風を切り歩いた街。今は異人がふんぞり返って歩いている。


今から二十年の昔、突如として江戸に舞い降りた「天人」。彼らの台頭により侍は弱体化の一途を辿った。
剣も地位も奪われた侍達は誇りも何も捨て去ることとなった。だがその反面、今も根強く残るものが在る。
それは魂の輝き。今も尚、人知れずだが根強く己の魂を輝かせて光を放ち続ける酔狂な大馬鹿者が居る。

周りにも何人か、未だ己の(たましい)が折られていないものがいる。その姿はあまりにも儚くて、そして、酷く美しい。
それでいて眩い光を放ちながら彼らは生き続けている。決して折れない刀。そして、屈強なる信念は清い。
そんな銀色の光が在った。自分はその光にどうようもない程に惹かれた。まるで虫みたいに光を求めた。

儚くも美しく輝く光。人は誰しも光を追いかけている。その(しろがね)が偶然、自分にとっての光だったに過ぎない。
人が光に焦がれるのは憧れと希望、己の無限大の可能性その光に重ね合わせて求めているからである。
そしていつの日か光を追い求めるその先で己の放つ光の存在に気付くのだ。儚くも美しい自分だけの光に。

たとえば彼もまた――


よろづ屋本舗



「だから・・・おめっ・・・馬鹿!そこじゃねぇーよ!そっちだよ!!」

レジの方からあらぬ音が響く。次いで店長の聞き苦しい罵声が店内に響き渡る。客が居るというのに全く。
怒鳴られている新八を横目には人知れず溜息を漏らす。今日も今日とて響く怒声に溜息を禁じ得ない。
確かに新八は人よりもレジ打ちが苦手。が、いびる事にしか生き甲斐を覚えられないなんて可哀相な人だ。

これで客が少なければやんわりと止めに入っただろう。しかし、生憎今は接客中である。止めていられない。
虎の様な猫の様な不思議な面相の男達に注文を伺った。一人がホットミルクを注文する。猫みたいなのに。
猫舌の癖にわざわざ熱いものを注文するなんてとんだもの好きが居る。同じ猫舌としては理解不能である。


「!!」

不意に悪寒が走る。自分の身体に触れたその手を反射的に振り払おうと反応しかけるが相手は客である。
苦笑を浮かべてあしらうものの、どう対処すべきか考える。茶斗蘭星人がの尻をさり気なく撫でている。


(相手はねこ相手はねこ・・・)

必死に言い聞かせる

見た目は猫なのに浮かべる笑みは嫌らしさ全開。これはどう贔屓目に見ようとしても可愛い猫に思えない。
むしろ、猫に対する侮辱にしかならないだろう。笑みが引き攣りそうになるの堪えて笑顔で接客に勤しんだ。
ある種のプロ根性である。とは言え、決して苛立たないわけでない。不快感が込み上げて来るのを感じた。


「俺のパフェまだ?」

注文を取り終えたというのに触れる手は未だ収まらない。そろそろ潮時かと、拳を密かに握り締めた瞬間。
タイミングよく別の席の客から注文の催促が掛かった。それに笑顔で応対して逃げる様に厨房へ向かった。

「お待たせしました。チョコレートパフェになります」

別席の客の元へそれを運ぶ。にこりと微笑んで告げると、パフェ用のスプーンとチョコパフェを机に並べた。
不意にその席の男と目が合った。先の催促はセクハラ行為へのフォローだったらしい。小さく会釈して笑う。
パフェに乗っているチェリーは謂わばその礼である。だがそれに気付く事無く男の興味は既にパフェに夢中。

腰には木刀を携え、白を基調とした着物かと思えば下は洋服。一風どころか大分変わった服装をしている。
綿菓子みたいに柔らかな銀色の髪は俗に言う天然パーマネントで瞳は先程まで死んだ魚のようであった。
今は瞳を輝かせてパフェを見つめている。その反応だけで如何に彼がそれを楽しみにしていたかが分かる。
どこから食べようかと嬉々としながら悩む男を横目で見る。残念だが最後まで食べる事は叶わないだろう。


(・・・ドンマイ、銀さん)

内心合掌

その男、坂田銀時とは顔見知りである。むしろ、の本業である万事屋の相方が銀時である。
居候先の家主にして保護者。『銀魂』という漫画の主人公である。それなのにを知る不可思議な人物。
こちらの世界に来てから1年と少々。生活を共にすると同時に世話になっている頼れる兄貴分と言うべきか。
後は本業の方が繁盛して脱極貧出来たならば文句なしだ。それを夢見ては今日もバイトに精を出す。


「てめぇまだ剣引きずって・・・「あー・・・はいはい。店長、仕事中ですよ!仕事中」」

店長が新八に手を上げようとするのが見えた。しかしその間に割って入って拳を往なしながら口を挟んだ。
確かに苛立つ気持ちも否定はしないが、客前での暴力は良くない。それ以前に力で訴えるなんて以ての外。

「・・・さん・・・?」

殴られる事を覚悟していた少年、志村新八は薄らと目を開けて驚愕した。そして、ポカンとしながら呟いた。
店長と新八の間にするりと体をねじ込みながら拳を往なす。振り返ったはへらりと笑うと新八を見遣る。

そして、


「志村さん。こっちやるし注文運んでもろていい?」

何もこんな時まで笑顔で無くても良いのにと思う。少し怖い。しかし、接客中である事を思い出して頷いた。
厨房で注文されていたホットミルクを受け取って客に運ぶ。運ぶ先は言わずもがな茶斗蘭星大使達の席。


志村新八は喫茶店「でにぃず」の先輩アルバイターである。年齢はの方が上だが期間的には上である。
よりも1年早くアルバイトを始めたにも関わらず一向にレジ打ちに慣れない。店長の癇癪の原因である。
不器用さに八つ当たりする店長と毎度怒鳴られる新八という図も日常ですっかり見慣れた光景だと言えた。

要するに兎にも角にも志村新八は不器用なのだ。確かに慣れるまでは緊張するから失敗するのも分かる。
それ故には新八のフォローに入るようになった。経験があるからこそ重なって見えたのかも知れない。
最近では暴力沙汰になる前にフォローに入る様になった為、客前での暴力沙汰は激減したと言えるだろう。

新八の父は侍だったらしい。故に最近まで木刀しか握った事の無かった生粋の侍の子。躊躇うのは当然。
侍がレジ打ちなんてナンセンスな話だ。ジェネレーションギャップに着いて行けずとも無理は無いと思える。
こんな風になるとは露ほどにも思わなかった筈だ。将来は父親の道場を己が継ぐのだと思っていただろう。
それなのにどっこい廃刀令が敷かれてあまつさえ父を失くして極貧+借金生活を余儀なくされる境遇なんて。

・・・・・あまりに悲惨。確かに廃刀令で刀を失くしたのは新八だけではない。殆どの侍が職と(たましい)を失ったのだ。
しかしプライドでは腹は満たされない。誇りも何も全てをかなぐり捨てて今に至る。生きる為に誇りを穢した。


「つい、ちょっかいをかけたくなるのだよ」

間違いなく嫌がらせなのだろう。新八の足を引っ掛けて嘲笑を浮かべながら茶斗蘭星の大使らは言い放つ。
不意の出来事に新八は躓き受け身を取る事も出来ず盛大に転んだ。そして牛乳塗れ。これは遣る瀬無い。
なんと屈辱的な姿だろう。自分を見下して嘲笑する連中を相手に新八は謝罪の言葉を紡いで立ち上がる。
もしも自分ならば絶対に耐え切れない。それでも店員として彼らに接する新八は凛然としている様に映った。

が、


(あ〜ぁ、怒るぞー)

瞑目、後、失笑

自分と同じく・・・否、明らかに別件で堪え切れない怒りを抱く人物が居た。机に広がる零れたパフェの残骸。
WJ初の糖尿病予備軍の主人公は週に一回しか糖分が摂れない。謂わばこれは我慢した自分へのご褒美。
なのにそれは見事に先程の衝撃で机の上に散乱。甘いものが好きな自分も銀時の心境には共感出来る。
これは普通にキレるだろう。邪魔された時点で邪魔した奴を仕置きに処した上でキレる。それは決定事項。


「・・・営業妨害は困るんやけどなぁ」

乾いた笑みを浮かべては呟く。だがおそらくその声は銀時には届かないだろう。ゆらりと立ち上がった。
刹那。店長が華麗に宙を舞った。止めなかった店長も間違いなく同罪であって、そこに弁明の余地は無い。
それを横目で見ながら思考は全然別の方向を駆けめぐる。潮時か・・・さて、と。次のバイトはどうしようかな。

「志村さん!こっちこっち」

呆然と投げ飛ばされた店長と、店長を投げ飛ばした銀時を交互に見つめる新八。その光景は少し面白い。
だが流石に無関係で巻き込まれたら可哀相だ。念の為に新八を厨房に呼び寄せる。多分大丈夫だけども。
幾ら切欠とは言えどもこのまま「失業。ハイ終わり」ではあんまりだろう。失業確実なのは確かだけれども。


「ギャーギャーギャーギャー喧しいんだよ、発情期ですかコノヤロー」

店主を思いっ切り殴り飛ばした後、銀時は死んだ魚の様な目を大使らに向けて吐き捨てる。明らかな私怨。
発した言葉は奴当たりに他ならない。思わず苦笑が浮かんだ。理解は出来るが理由があまりに幼稚だろう。
とは言え、今は食べ損ねたパフェの恨みの方が勝っているらしい。言ったところで寝耳に水のようなものだ。

これは、――来るな。

1年という付き合いがに告げる。茶斗蘭星の大使らが店長の二の舞を踏む事になるのは時間の問題。
とは言え自業自得だ。先程のセクハラ行為の礼だと思えば良いだろう。それでも足らないくらいなのだから。
本来ならば自らお礼返しをしたいところだ。しかし現時点で「でにぃず」の店員である手前、それは出来ない。



「しっかし、発情期なんて上手く言うなぁ…まあ褒められた内容どころか下品やけど」
「え、さん・・・!?」
「あっ、新しいバイト探した方がえぇよ。でも、辞めんにゃったらバイト代もろてからをオススメする」

既に店内は見事しっちゃかめっちゃかな状態。宙を舞う猫モドキを見遣りながらはけらけらと笑い言う。
その台詞に信じられないような顔をして新八がを見る。この娘は何を言い出すのだろう。ん?と顧みる。
この状況で笑っている事に驚愕。肝が据わり過ぎというのか。しかもちゃっかりバイト代まで貰う気満々だ。

「あ、てんちょーバイト代はまた今度引き取りに来ますね〜」

レジ近辺に倒れ伏す店長の傍に駆け寄って意識が混濁しているらしい店長の傍に屈み込むとそう告げた。
へらりと爽やかに笑って紡がれたその言葉に勿論店長は返事を返せる筈が無い。明らかに確信犯だろう。
むしろその姿は清廉潔白な天使というより悪魔に近い。自分なら間違いなく思う。否、悪魔というよりアレだ。


(Sだ!ここにドSがいるっ!!)

内心絶叫

だがそれがの耳に届かなくて良かったと思う。否、きっと彼女ならば笑い飛ばして済ますのだろうけど。
血塗れの木刀を軽々と背負った銀時がと新八の前に立ちはだかる。嫌な予感を覚える。・・・・・まさか。
自分達までその木刀で殴り飛ばす気なのか。さり気なくを後ろに庇いながら銀時を睨む。緊張が走る。

が、


「八つ当たりは終わったん?」

まるでからかうようにが問い掛ける。そして、銀時との距離を縮めると銀時の胸元を軽く拳で小突いた。
「見てて清々したわ〜」と、が笑った。同情の色が見えない口振りにほんの少しだけ彼らに同情が募る。

「店長に言っとけ、味は良かったぜ。・・・いくぞ」

新八に向けて銀時がひと言言った。を一瞥して踵を返すと店内から出て行こうと銀時が歩みを進めた。
その言葉には小さく笑うと、銀時の後を追いかける様にエプロンを外しながら小走りでその背の追った。
まるで親猫を追いかける仔猫のようだ。こんなにも表情豊かに話すを初めて見たと新八は密かに思う。

そして、


「じゃあね、志村さん。また機会があれば」

不意にが足を止めた。振り返りバイバイと手を振りが言う。子供の様な無邪気な笑みを浮かべて。
とてもではないが年上に見えない。呆然とする新八を余所には今度こそ銀時の後を追って外へ向かう。

彼女の顎ラインで切り揃えられた烏の濡れ羽色の髪が揺れた。跳ねた毛がまるで猫の耳の様にも見える。
新八はその小さな背中を見送る。もだが先程の銀髪の侍も不思議な存在だ。理解の域を優に超えた。




――は後輩アルバイターである。


仕事が素早くて的確だ。そして店の看板娘であるのは確か。店長は今頃心から嘆いている事だろうと思う。
思えばそれ以外の詳細を殆ど知らない。まるで空を掴もうとするような人だと思う。捉えどころが無いのだ。
温厚且つ明朗快活な女子である。柔和に微笑んで人受けの良い娘だと十人に問えば十人が「是」と答える。
新八がに抱く印象は兎も角柔らかい。たおやかというよりも柔和である。傍に居て安心するというのか。

だが、

どこか他人と距離を置いている様な印象を受けた。上手く言えないのだが何と無く傍に居ても遠くに感じる。
付かず離れずの距離を保っていると言うのが正しい表現だろうと思う。距離の取り方がとにかく上手いのだ。
だが同時に思ったのは、その距離感が縮まらず切なくも悲しい。果たしてその距離で何を得る気なのだろう。
とは言え、それはあくまで新八が思っているだけに過ぎず、実際は違うのかも知れない。やはり分からない。


彼女の傍に居た銀髪の侍。

侍というにはあまりにも荒々しく、チンピラと呼ぶにはあまりにもな目をした男。普段は目が死んでいるけど。
あの男との関係が如何なるものかを新八は知らない。だがその男を信頼しているのは十分分かった。
この広い江戸の中でもう一度会えるかどうかは定かでない。だけどあの二人にはもう一度会える気がした。
それも近い未来に。否、おそらくそれはがんぼうに過ぎないのだろう。無意識というのか、強く惹かれたから。

だから――


もう一度会いたい。会って、そして自分の中に沸いた物の理由を確かめたい。だから会ってみようと思った。
見つからないならば探すまでだ。それに対しての後悔は無い。こんな風に思ったのはきっと初めてだと思う。
ある意味運命的な出会いだった。だから、きっと――否、絶対にもう一度会える。否、会うのだ。会いに行く。

食べ物の恨みはおそろしい。

[2013年1月10日 修正]