久し振りに部屋を訪れたかと思えば、開口一番。ブラッドは「見せたいものがあるんだ」と、そうのたまった。
数日後、それこそ久し振りに部屋を出て案内されたのはブラッドの部屋。ノック後に短い応答。ドアを開ける。
と、そこには先客が居た。長い黒髪。小柄な肢体からして女だ。振り返ったその人がアリスを視界に捉えた。


(・・・・・綺麗な色)

思わずにいられない

闇よりも深い漆黒の双眸。髪色とは違う黒を宿したその瞳に吸い込まれそうになる。彼女は小さく微笑んだ。
そして軽く会釈する。そしてブラッドに目を向け「彼女が?」と、尋ねる。声はどちらかいえば高く澄んでいた。
ブラッドはふっと笑って「・・・あぁ」と、頷く。その言葉に納得した様にその人は再びアリスの方に顔を向ける。

そして、


「初めましてリデル嬢。・・・です」

ふわりと笑いは躊躇うことなく手を差し出してそう言った。「しがないよろず屋を営んでます」と、繋いだ。
その言葉にアリスは目を瞬かせた。小柄な身体とは裏腹にが裏社会に生きる者だということに驚いた。
「貴女・・・」と、言葉に仕掛けて止めた。何処にそんな力があるのか純粋に疑問に思うがその質問は不躾だ。

「アリス=リデルよ。よろしく、

小さく咳払いし、差し出された手を掴むとアリスも笑みを浮かべながらそう言葉を返した。何だか嬉しかった。
初めてハートの国訪れた時にハートの城の女王ビバルディと出会った。今度は年の近い女の子の役持ち。
役持ちは比較的に男が多く、数少ない女の子に親近感を抱くのも無理は無い。それに久し振りだったから。


こうして、帽子屋屋敷の者以外の誰かと接するのはほんとうに久し振りだった。

いつしか帽子屋屋敷(ここ)に囚われていた。


自然と外に出る回数が減り部屋から出ることも無くなった。強制されたわけではない。ただ自然とそうなった。
そのことに違和感を感じなくなった時、初めて異常だと気付いた。だけど気付いた時にはもう既に遅かった。
囚われて抜け出せなくなっていた。異常だとは知っていても、それで構わない。ここが居場所になっていた。
ブラッド=デュプレの愛人――それが、アリス=リデルの今の役割。彼は気障ったらしいが優しい人だった。

たぶん彼の事が好きなのだと思う。日増しに部屋に訪れる回数が減り一人寝の夜が増えたとしても、多分。
どんなに気だるさそうに見えてもブラッドはマフィアのボスだ。寝る間も無い程に仕事はたくさんあるだろう。
だからたとえ会える時間が少なくてもそれは仕方のないこと。むしろそれ以上を望むのは我儘というものだ。


「その子は役持ちでなくきみと同じだよ、アリス」

互いに自己紹介を終え、言葉を交わしていた。すると不意にブラッドがアリスに「彼女も余所者だ」と告げた。
その一言にアリスは一瞬、静止する。「えっ・・・?」と、困惑すら感じさせる声。が小さく溜息を漏らした。

「・・・帽子屋さん。それ、唐突すぎやろ」

「べつに今いわんでもええやん」と、呆れた口調でが言った。だがブラッドの言葉を否定はしなかった。
それはつまりブラッドの言葉が事実であるから。それはつまりがアリスと同じ余所者である、ということ。
喜ぶべきなのだろう、自分と同じ存在がいることを。なのに素直に喜べない。困惑の方が際立ってしまった。

「・・・・・」。そんなアリスの心情を汲み取ったは肩を竦めてにが笑うともう一度アリスの手をそっと取った。
そしてその手を自身の胸に宛がう。この世界の住人と余所者とを隔てるのは音。心臓の音と時計の針の音。
の胸から聞こえたのは規則正しい心臓の脈を打つ音。認めざる得なかった。彼女は同じ余所者だ、と。
「・・・貴女も余所者だったのね」と、呟いた。嬉しい筈なのに、なんとも言い難いようなこの気持ちは何だろう。


「でもどうして役持ちのようなことをしているの?」

違和感を振り払う様にアリスは予ねてからの疑問を口にする。余所者ならば客人として持て成される筈だ。
それなのになぜはこの世界の住人のような生活を送っているのか。その言葉にが一瞬、黙った。

「・・・それが私のゲームやから、かなぁ?」

が、すぐにふわりと笑みを浮かべて答える。ゲームだから。この世界に居る者は皆、ゲームに参加している。
それはアリスも例外ではない。ひとつ目のゲームは終えたらしいが、おそらく今は新たなゲームの中にいる。
あくまで仮定なのは、それを認識する力を持たないからだ。どんなゲームの中にいるのかさえ、分からない。

でもそれを不便と感じることはあれど疑問に思ったことは無い。友人の夢魔は「それで良いんだ」と、言った。
だから多分それで良いのだと思う。だがは違うらしい。はっきりと自分のゲームの内容を自覚している。
そして定められたルールに従っている。従う事に何の意味があるか知らないが、根が真面目なのだと思う。


のゲームって?」

聞いたのは単なる好奇心。皆一様に「ルールだから」「ゲームだから」と、口にするがその内容は知らない。
聞けば答えてくれるかも知れないがそこに踏み入るのはあまりにも図々しい様に感じて少し抵抗があった。
今こうして聞いてしまっている時点で充分図々しいのかも知れないけれど。口にしてから少しだけ後悔した。

「元の世界に戻れるかどうか・・・かな?たぶん」

答えたくないなら別に構わないし、無理に聞こうと思わない。だけどは思ったよりすんなり答えてくれた。
『元の世界に戻りたい』という言葉にトクリと心臓が高鳴る。かつてはアリスもそう思っていた時期があった。

あの陽だまりの庭へ―――帰るんだ、と。


夢だからいつか覚める。そうしたら、と、思っていた。それがいつの間にか馴染んで帰ることを惜しんでいた。
元の世界を、そこに残してきた家族や友人達をアリスは棄てた。大切なものを棄てて選んだのはこの世界。
決してアリスは元の世界が嫌いだったわけじゃない。友人だってそれなりに居たし、家族だって大切だった。
陽だまりの庭で過ごす姉との時間だって大好きだった。それらを棄ててまで選んだ。別に後悔はしていない。

それに、帰ったって――・・・。


ぱんっ

手の鳴る音


「!!」

それにアリスはハッとする。手を鳴らしたのはブラッドだった。そして心配そうにアリスを覗き込むの姿。
今、自分はいったい何を考えていたのだろうか。この世界を選んだのは自分だ。選んだことに納得した筈だ。

「・・・きみも諦めが悪いな。ここの生活もそう悪くはないだろう?」

呆れた様に息吐き言うブラッドの言葉にぎくりとする。が、その言葉はアリスに向けられたものでは無かった。
「まあ悪くはないけど・・・」と、が返す。アリスにとってそうであるようにもまた世界に馴染んでいた。
それでもは『帰る』という確固たる意志がある。居心地がよかろうと此処は居場所ではない、と知ってる。
は帰りたいの?」と、問うと一瞬間を置いて「・・・まあね」と、肩を竦めるとはそう言ってまた笑った。

「戻るよ。・・・・・もどらないと」

そう言った瞬間のはどこか遠くを見つめていた。帰郷の念とは程遠い別の何か。どこか虚ろな眼差し。
その先に彼女が囚われている何かがあるのだろうか。アリスは何となく思った。は似て非なる余所者。
同じ余所者の筈なのに、否、同じ。だけども何が違った。その何かははっきりと分からないが妙に心に残る。

分からないからこそ、気になった。


「・・・ねえ、はどんな仕事をしているの?」

先程よろず屋を営んでいるとは聞いたが基本的にそのよろず屋がどういった仕事をするのかよく知らない。
その質問には「いわゆる何でも屋さん」と、答えた。このハートの国の住人のどんな依頼も請け負う。
といっても、基本的に役持ちの暇潰し相手が主な仕事になっているようだが。従業員も少し居るらしい。

「JabBerWoCkyって店」

「小さい店やけど従業員、4人もいるんよ」と、自慢げに語る姿はよろず屋の仕事を嫌がっては無い証拠だ。
友人のハートの騎士は自身の役を嫌がって時計屋の部下になっているというのに。人それぞれということか。

「じゃあ・・・もしかして今回も依頼なの?」

屋敷に呼ばれた理由もまさかブラッドの気紛れの相手をするためだったのだろうか。ふと思ってそう尋ねる。
ほんの少し考え込んで「いちおう守秘義務があるから」と、は悪戯っぽく笑って言った。沈黙が答えだ。
ブラッドに視線を向けると涼しい顔をしてこちらを見下ろしてくる。ほんの少し腹が立ったことは否定しない。

「それだけじゃないだろう」

と、不意に口を開いたブラッドがそんな事を言った。発言にとアリスは同時にブラッドに視線を向けた。
片や「余計なことを」と言わんばかりの面倒そうな視線。一方は「どういうこと?」と、言及するような視線だ。
「・・・なにが?」と、ほんの少し嫌な予感を覚えながらが尋ねた。ブラッドは愉しそうにを見ている。

とブラッドがどういう関係なのかよく知らないけれど、どうやら依頼人と受ける側だけの関係では無い。
それだけと言うにはどこか気安い。住人と余所者にしても違和感がある。互いに気を許せる間柄のようだ。
ほんの少しそれを面白くないと思う気持ちがあった。これは嫉妬というものなのだろうか。否、それは無い。


「名高い情報屋、というのが抜けているんじゃないか?」

と、からかうようにブラッドが言った。その言葉には一瞬、眉を顰めるがすぐに面倒臭そうに息吐いた。
「・・・名高くはないと思うけどな」と、溜息混じりに吐き出した言葉はブラッドの言葉を特に否定はしなかった。
は情報屋も営んでいるらしい。それを聞いてアリスは思わず目を瞬かせた。まるで意外性の玉手箱だ。

「ごめんなさい・・・正直、見えないわ」

と、素直に感想を述べれば、は「やっぱり?」と、へらへら笑った。それを見て尚更、見えないと思った。
どう見積もってもが裏の人間には絶対に見えない。そう言うと「そうでないと問題だ」と、ブラッドが言う。

「まあ、あんまりまんま過ぎても問題なんやけどな・・・うん」

見えないと言われて普通は気分を害するだろう。が、のプロ意識は外観にないらしく笑ってそう言った。
むしろそれを逆に利用している辺り、抜け目ないというか。だけどもが戦える風にはやっぱり見えない。
正直な話、見た目は小柄で華奢だし乱暴な展開にでも持ち込まれたら抵抗出来なさそうな印象を受ける。

「・・・・今まで危険な目に遭わなかったの?」

と、思わず心配するのも無理は無い。アリスの質問には首を少し捻り考え込んで「ゼロでは無いなぁ」。
何度か危険な目に遭っている。それなのに何とも緊迫感の薄いこの声調だ。アリスは思わず脱力しかけた。
「どうやって脱したのよ。貴女、どうやっても勝て無さそうよね」と、遠慮のない言葉で以って更に問いかける。

「きっつー!でもまぁ・・・そやねんなぁ、あいにく武闘派ちゃうし」

遠慮の欠片もないアリスの言葉を不快に感じたわけではなさそうだ。はけらけら笑いながらそう言った。
「でもまぁ無力ってわけではないかな」と、そう言っておもむろにどこから出したのかダーツの矢を取り出す。
「ちょっと借りるで帽子屋さん」とブラッドに断りを入れるとまたしてもどこから出したのか一枚の板を掲げた。

曰く「これに何か描いて」と言われて、同時に差し出された黒いペンで似顔絵を描いた。ブラッドの似顔絵を。
それを受け取ったは小さく笑いを噛み殺しいつつ少し離れた中央の柱に引っ掛けた。そして戻ってくる。
「ちょっとした気分転換みたいなもんねんけど」と言って、はダーツの矢を放った。目標を見る事も無く。


「・・・・・うそっ」

思わず驚きの声が漏れた。の放った三本のダーツの矢は全てアリスの描いたブラッドの似顔絵を貫く。
直ぐ傍らで投げる瞬間を見ていたアリスだから分かる。は一瞬たりとも的に目を向ける事は無かった。
昔少しだけダーツを嗜んだ事があるが全て同じ箇所を狙うのに相当の技術が必要になる。なのに苦も無く。

「ハッタリって大事よね〜・・・だいたい、これで大人しくなってくれるし」

と、まるで他人事のように笑いながらそう言った。ブラッド曰く、これで何人かを磔にしたこともあるのだとか。
それは大人しくならざる得ないだろう。ハッタリどころか既にそれは脅迫の域に達していると思う。容赦ない。
彼女が大人しくされるままの人間でないことはよく分かった。ブラッドに目を向けると喉で小さく笑っている。

「でも・・・流石にそれだけでは限界があるんじゃないの?」

確かに一部はそれで牽制出来るかも知れないがそも限界があるだろう。もっと野蛮な連中が相手だったら。
どうしても戦いを避けられない時だってある筈だ。いくら、のらりくらりとかわし続けたところで限界もある筈。
それに対して「まあね」と、本人は気抜けしてしまいそうな調子で答える。こんな子がやってけるのだろうか。

「・・・・・こう言うことだ。お嬢さん」

アリスの疑問を打ち砕く様に唐突にブラッドが言って、手元のナイフをに投げた。「ちょっとブラッド!」。
幾らなんでもやり過ぎだと声を荒げた。対するは避けようともせずナイフの軌道をぼんやり眺めている。
確実にそれはを傷付けるだろう。アリスは思わず目を覆った。が、予想していた錆びた鉄の香はしない。

目を開けたアリスは茫然とその光景を見つめた。金色の膜らしきものがナイフがに届くのを阻んでいる。
焦った様子も無くはナイフを眺めている。が、少しだけ違和感があった。それはおそらく彼女の目の色。
漆黒の双眸は金色に染まっていた。ナイフがフワリ漂っての手に落ちる。同時に膜が弾けて霧散した。


「ちょっ・・・ブラッド!今のは乱暴すぎやろ」

と、呆れた口調でが言う。視線を彼女に戻すと瞳はもう元の色に戻っていた。今のは何だったのだろう。
「言葉で説明するよりも見た方が分かりやすいからな」と、無茶苦茶な言い分には深い溜息を漏らした。
状況把握が追いつかないが少なくともが無力でないことは分かる。余所者と呼ぶには不釣り合いな力。

でも、

それは――


(・・・・・そうまでしないといけないゲームなの?)

チクリと痛む

のゲームはそこまでしないと勝てないのだろう。本来持っている筈のない力で以って挑まねばならない。
ゲームを終わらせる事が出来ない。ブラッドと何か話しながら笑っているその小さな背中をぼんやり眺める。


同じ余所者なのに、こうも違うだなんて――・・・・。



はじまりは・・・、

[2013年4月1日 脱稿]